何もないことの幸せ
気が付けば、もう半月ほど誕生日が過ぎている。
この日記の書き出しに、「気が付けば」と書くのはもう何度目の事だろう。
もう誕生日なんて本人でさえ忘れている事も屡々で、特に目出度い日でもなくなっているのだけれど、何事もなくまたこの日を迎えられた事に感謝すべきなのだろう。
こうやって何とか次の誕生日も、そのまた次の誕生日も忘れたまま過ぎ去って、そうやって何事もなく子供達が大きくなって行くのを見続けられたのなら、それに勝る幸せなどないようにも思う。
最近ではすっかり「恐いお父さん」役を続けるうちに、険しい表情でいるのがデフォルトになってしまって、そんな自分がふと嫌になる。
妻は「叱る」「怒る」が非常に不得手で、それが彼女の良いところでもある。
彼女も頑張って叱ってはみるのだけれど、子供達は平気の平左で聞き流す。
子供達も大きくなって来て、一声で制止出来るか否かが命を左右する場面も絶対にないとは言えず、それを考えるとどうしても普段から厳しくなってしまいがちで、けれども先へ先へ心配ばかりして叱りつけていたのでは、子供が萎縮して何も出来なくなってしまうのではないか。
亡くなった母が僕の性質を見抜いて釘を刺していた、全くその通りの事をしてしまっている。
大体もし今自分に何かあって子供達の前から去らなければならなくなったとしたら、彼らにとってどんな父親の記憶が残るだろう。
大きな怪我をして欲しくない。出来れば病気にもなって欲しくない。
何が危険で、どうしたら回避出来るか、早く身に着けて欲しい。
そう考えての事だけれど、それが理解して貰えるようになるのはまだずっと先の事だろう。
「お前もいつか親になれば解る」という言葉の重みが、本当にこれ程迄に身に沁みようとは思ってもみなかった。
「孝行したい時に親はなし」と言うけれど、今更ながらに、してきた不義理と無礼の数々を、平伏して許しを請いたい気持ちに苛まれる。
口数の少なかった父が、もしかしたらあの時こんな気持ちでいたのではないか、と思い至ったのはつい先日の事だ。
あまりにも遅い。
まだ小さかった頃、父に誘われて何度か二人きりで過ごす事があった。
大抵は、何かの会合に出席する際に僕を同席させる、という様な形で、特に僕を連れて行かねばならないというような用事ではなかったから、会話の弾まない車中で、僕は(早く終わらないかな、どうして僕を連れて行くのかな)等と考えていた。
そんな時、父は大抵「何か食べたい物があるか」「何か欲しい物があるか」という様な事を訊ねた。
あれはきっと、父なりの、精一杯の「甘やかし」だったのだろう。
小言を言わない日。何か強請るのならそれを聞いてやる日。
そんなつもりだったのではないか。
僕は大抵、「欲しい物も食べたい物も特にありません」と答えた。
そうしてまた車中は静まり返る。
父はどんな気持ちでハンドルを握っていたのだろう。
今になってようやくそんな事を考える。
先日も何かで小言を言って、すっかりしょげ返っている長男の後ろ姿を見ながら、(まだ何て細っこい首だろう。ああ、一度も叱らないで思い切り甘やかせる日があればいいのに)と考えた。
それで急に、小さかった頃の、あのきまりの悪い、会話のない車中での事を思い出したのだ。
正直なところ、「大きくなれば解る」だの「親になれば解る」だの言われても、(そんなもの解るもんか、あなたと僕は違う人間なんだ)と思っていた。
本当に本当に、浅はかだった。
どうしようもなく小賢しく、生意気な子供だった。
今こそ真摯に耳を傾けて助言を請いたい、と思えるようになったというのに。
もう助言を請うべき人もない。
何もない日を過ごせるのは幸せだ。
怒る事もなく、悲しむ事もなく、退屈で静かな一日を過ごせるのは、この上もなく幸せだ。
兄が倒れた。
危惧していた通りの事が起こってしまった。
大きな幸運など望まない。
立派でなくてもいいし、みっともなくていいから、踏み留まって日々をやり過ごせる強かさと、ほんの僅かな目溢しが欲しい。
僅かな隙。ゆるさ。やわらかさ。
予測し得る不幸の連鎖を断ち切るような、何か。