壊れる
壊れる。
兎に角色々な物が壊れる。
車が壊れる。
パソコンが壊れる。
エアコンが壊れる。
どれもそれなりに古いものだから、いつ壊れても何の不思議もないのだけれど、どうしてこうも続けざまに壊れるのか。
物に自然治癒力はないので、壊れることはあっても勝手に直ることはない。
壊れて困るものばかりが続けざまに壊れるように感じるのも、
壊れたという事実だけが印象に残り易い所為なのだろう。
そう考えると人の身体というのは本当によく出来ている。
年々衰えを感じずにはいられないけれども、怪我をすれば、まだ少しづつでも回復しようとするのだから。
手元不如意で簡単に買い換えという訳にもゆかず、修理の利くものは何とか応急処置のようなことをして凌いではいるが、何れはそれも限界が来るだろう。
暑い盛りに居間のエアコンが故障したのには特に閉口した。
配管の工事をし直すのにかなりの額が必要な事が判っているので、各部屋のエアコンの温度を低めに設定し、サーキュレーターで冷気を居間に送る事で何とか凌いでいる。
子供の頃、夏はまだこれほど厳しくはなかった。
外で遊び回っていても、日陰に逃げ込めば何とかなった。
部屋にエアコンなどなくとも、命の危険までは感じなかった。
何時の間にこんな事になったんだろう。
ちび達が大きくなる頃にはもっと厳しくなるのだろうか。
何もかもが厳しくなるばかりだったらどうしよう。
傍に居て、役に立とうとそうでなかろうと、何か言ってやれるだろうか。
何かしてやれるだろうか。
物が壊れる度につい舌打ちをしてしまうけれど、自分の身体だってもう随分長く使ったのだし、いつ壊れても文句の言えないような扱いをしてきた。
それを考えると、古くなって使い物にならなくなったものたちにも、舌打ちなどぜず労いの言葉の一つも掛けてやった方がいいのじゃないか、などと思う。