散髪屋

あまりに長く閉じ籠もって息を殺す様な暮らしぶりが続いたので、何をどう書き残していいやらよく解らなくなってしまって、何年も何も書かずにいた。

僕の持病の事もあって、取り敢えずは慎重にしていたけれども、こうも長く続くともう色々と通常に近づけて暮らさなくては身が持たない。

お陰様でまだ誰も罹患せず、それなりに穏やかな暮らしが続いてはいるが、友人と会う機会も減ったし、そもそも殆ど出掛けずにいたし、元々経済に与える影響など殆どない暮らしぶりなので、洞穴生活の原始人にでもなった様な有様だ。

買い出しは週に一度、深夜スーパーで大人だけで済ませ、子供たちはリングフィットが日課になり、それでも兄弟二人で居れば少しも退屈はしない様で、横で見ていて感心してしまうくらい一日中くっついて楽しげにしている。

 

今日、春休みに入った子供たちと話していて、ふと、僕が居なくなったら、この子達も散髪屋さんに行くのだな、という様な事を思った。

うちは家族全員の髪を僕が切るので、子供たちをまだ一度も散髪屋さんに行かせた事がない。

僕自身も、最後に他人に散髪して貰ったのが何時の事だったか、思い出せない。

 

丁度今の長男と同じ年頃に、時々世話になっていた散髪屋さんの事を思い出した。

近所には散髪屋さんが二件あって、一件は陽気な御主人と物静かな奥さんの切り回すお店。

もう一件はかなりお年を召したお爺さんの小さなお店だった。

お爺さんはベテラン中のベテランに違いなかったが、剃刀を持つ手元が酷く震える。

入念に革砥をかけた剃刀が冗談みたいにぶるぶると震えながら目の前に迫り、まだ産毛しか生えていなかった鼻の下に当てられると、震えはピタッと止まって、今度は驚くほどの滑らかさで顔の上を滑り出す。

それでもいつも大変なスリルを味わった。

洗髪方も独特で、後ろから髪を鷲掴みにして文字通り前後左右に振り回す様な珍しい洗い方をする。

痛いのは勿論の事、お爺さんに力一杯頭をブンブンと振り回される自分の姿が鏡に映ると、何故か笑い出すのを堪え切れず、いつも吹き出してしまうのだった。

そうするとお爺さんは更に勢いを増し、顔を真っ赤にしながら親の敵の様に頭を振り回す。

ヒリヒリする頭皮にミントのスースーしたシャンプーを擦り込まれると、飛び上がるほど滲みるのだった。

それでいつもは陽気な御主人のお店で散髪をして貰っていたのだが、随分長くシャッターが降りたままになっていた時期があり、その間は月に一度、何か怖いアトラクションにでも挑む様な気持ちでお爺さんのお店に通った。

もう廃業してしまったのかな、と諦めかけた頃になって、お店はまた営業し始めたのだけれど、陽気なおじさんの姿はもうそこになく、すっかり痩せて、物静かと言うよりは幽霊の様な佇まいになってしまった奥さんだけが、以前よりもずっと薄暗く感じられる店内に、たった独りで立っていた。

何か事情があるのは明らかだったが、元々あまり言葉を交わす事もなかったし、おじさんはどうしたのか、と尋ねられる様な雰囲気ではなかった。

奥さんは、剃刀が持てないらしかった。

常連の客と何か楽しげに話しをしながら顔剃りをするのは、いつもおじさんの役目だった。

客足はすっかり減って、店の前を通ると、以前はいつも客が順番待ちをしていた長椅子に奥さんが背中を丸めて腰掛け、鏡に映った自分の姿をじっと見ている事が増えた。

僕は顔剃りはどうでも良かったし、顔を真っ赤にしたお爺さんに髪を引っ掴まれて振り回されるよりは、押し黙って一言も話さなくなった奥さんに髪を切られている方が随分とマシだったから、相変わらずその店に通い続けた。

それから定休日以外にもシャッターが閉められている事が増え、訪れる客は本当に少なくなっていった。

ある時、その日も締め切ったシャッターの前を通り過ぎた時、店の前で声を潜めて話す大人たちの会話が耳に入った。

おじさんが他所の女の人とお店のお金を持って出て行ってしまった事。

奥さんが客に電気髭剃りを使おうとして一騒動あった事。

おじさんは亡くなってしまったのだろうと思い込んでいたから、少し驚いた。

それからまた暫く、お店のシャッターは閉められたままだった。

次に店が開けられると、店の奥にピンクのカーテンが掛けられていた。

床から30センチほどのカーテンの隙間に、大きな黒い革靴が覗いているのが見える。

最初は男物の靴が置かれているのだと思っていたけれど、鏡に映るそれは、時々所在なさげにもぞもぞと動いた。

散髪が終わりに近づいた頃、奥さんがカーテンの側で、何か小声で囁くのが聞こえた。

驚くほど大きな男の人が、カーテンを開けてのそりと近付いて来る。

まるで白衣を着た壁が迫って来る様だった。

手は野球のグローブの様に分厚く、握られている剃刀は玩具の様に小さく見えた。

眉は殆どなく、顔色は土気色で、映画で観たフランケンシュタインそのものの様だった。

片方の目は白く膜が掛かったようになっていて、額に古い縫い傷らしきものもある。

お辞儀のつもりなのか、僕の後ろに立つと少し首を下げ、それから剃刀を持つ手をゆっくりと動かし始めた。

見た目に反して分厚い手はそっと僕の顔に添えられ、剃刀は丁寧で正確な動作を繰り返す。

 

奥さんは何年かすると店を模様替えし、時々は客と談笑するようになった。

小さな、客によく吠えつく犬を飼った。

男は相変わらず髭剃り以外の時はカーテンの影に居て、客とは殆ど話さない様だった。

奥さんとは、妙に他人行儀な丁寧語で話すのを何度か耳にした。

地の底から響く様な、低く嗄れた声だった。

首を動かすのは矢張り挨拶のつもりらしい。

よく見ると、手にも顔にも古傷のような痕が沢山あった。

大人になってから知った事で、刑務所で服役中に職業訓練を受け、理容師資格を取得する方も少なくないと聞く。

これは全く僕の想像でしかないけれど、もしかしたらそうした方だったのかも、と思う。

カーテンの影で時々所在なさげに動く大きな革靴、その気になれば片手で簡単に握り潰せてしまいそうな、小さな僕の顔に恐る恐る触れる様子や、客には吠えつく犬が、その人の足許では寛いだ様子を見せるのも、仕事を終えてカーテンの影に去って行く丸めた大きな背中が少し寂しそうに見えるのも、記憶の中で、スクリーンで花を摘む、フランケンシュタインの姿と重なる。

何処かへ駆け落ちしたらしい陽気なおじさんが、常連客と大きな声で笑っていた頃より、時々犬が煩く吠えついてくるけれど、ピンクのカーテンの影にじっと小さくなって隠れているフランケンシュタインが居る、時計の音が静かに響くようになった理髪店の方が、僕にはずっと居心地が良かった。

 

いつか、子供を連れて、何処かの散髪屋にでも行ってみようか。