クリスマスに思い出した話。


帰省した時に
実家のすぐ側にあるケーキ屋で両親と食事をした。
この店はケーキ屋だが、少し気の利いた軽食も出す。
よく晴れて気持ちの良い昼下がりだった。


テーブルについて食事が運ばれて来るのを待つ間に
母がぐるりと店内を見渡して
「おじいちゃんはこんなお店が開きたかったんだよ」
と言った。


洋菓子職人だった母方の祖父は、
当時の日本ではまだ数少なかったであろう
本格的なパティシエとしての腕を磨きたくて、
渡仏すべくフランス語を学んでいたが、折悪く戦渦に巻き込まれ、
砂糖菓子など贅沢品だ、敵国の食い物だと
洋菓子職人を続けて行く事さえ危ぶまれる様な状況下に置かれてしまった。
結局、夢であったフランスでのパティシエ修業は叶わなかった。


それでも隠れる様にして、丹念に細工を施した小さな砂糖菓子を作っては
近所の子供達に配り歩いた。
祖父の作った砂糖菓子を受け取った子供達は皆、
綺麗な花や動物を象った砂糖菓子を、すぐには口にしなかった。
大切に半紙に包んで持ち帰ると
崩れない様にそうっと取り出しては眺め、
また丁寧に包み直して、宝物にしてしまう。
何日か経ってもまだ口にしていない事を知ると、
祖父は「甘くて美味しいんだから、今すぐ一つ食べてごらん」
と言って、同じ物をもう一つ作って渡した。
祖父は、見の前で子供達が砂糖菓子を口に入れ
子供達が口の中で溶けて行く砂糖菓子の様に
本当に幸せそうな、溶けそうな笑顔を作るのが見たかったのだ。


その所為で非国民呼ばわりされても、
自分や自分の家族が食べるのに困っても、
祖父は小さな砂糖菓子を作っては配る事を
辞めようとはしなかった。


まだ小さかった当時の母は
複雑な思いでそれを見ていた、と話した。


祖父の本当の夢は、
フランスで腕を磨いた後、帰国して
妻と、自分の六人の娘たちと一緒に
小さな洋菓子店を開く事だった。
自分の作ったケーキを娘達が客の許へ運び、
それを口にして笑顔を浮かべる客達の姿を
ずっと夢見ていたのだという。


母がそれを知ったのは
戦争が終わって、すっかり大人になってからだった。
自分の娘達の不評を買っても、
何故砂糖菓子を配る事を辞めようとしなかったのか、
今なら解るんだけどね。
そう言ってケーキを口に運んだ母の顔は
少しだけ寂しそうに見えた。


生まれてすぐに一度だけ、僕は祖父に抱いてもらった様だ。
勿論記憶はない。
写真の中の祖父は、僕を抱いて優しい笑顔をしていた。
話してみたかったな、と
そう思う。