いつものように保育園に子を迎えに行くと、
園の門を潜った途端に担任の保母さんが子の手を引いて出て来た。
タイミングがあまりに早かったので驚いたが、
アレルギーのある食材を間違って食べさせてしまい、
その状況説明をする為に僕が迎えに来るのを待っていた様子。
嘔吐したことや、その後はすぐに症状が治まって元気に遊びだしたことなどを説明する。
気の強そうなしっかりした感じの方だが、表情が酷く強張っていて唇が小刻みに震えている。
おそらく子の様子を見ながら、入り口に設置されている監視カメラで僕が来るのを確認し、
すぐに玄関に出て来たのだろう。
担任の後ろには給食の係だという年配の小柄な女性が目をしょぼしょぼさせて、
「私がうっかりしまして…申し訳ありません」と消え入りそうな声で詫びる。
状況説明を受けながら子を見ると、すでに発疹も消え、顔色も良く、
何よりきっと掛り切りで構って貰えたのに気を良くしたのか、いつにも増して機嫌が良い。
担任の方の表情から、どんな気持ちで僕を待っていたのか一目瞭然だったし、
幸いなことに子のアレルギーは命に関わるほど深刻なものではなかったから、
「大丈夫です、お世話をお掛けしました」と笑って済ませる事が出来た。
きちんと状況説明をしてもらえたことで不必要な不信感も抱かなくて済む。


本当に命に関わる深刻なアレルギーを持ったお子さんもいるだろうから、
こうした間違いは大事に違いないけれど、出来ればあまり過敏になり過ぎないようにしたい。
強張って少し青褪めた顔で、それでも真っ直ぐにこちらを見て話をする保母さんを見ながら、
沢山の子を預かる、大勢の命を預かる、という立場の方の重圧や課せられる責任の重さを感じた。
一人みるだけでもこんなに大変なのだから。





 


パソコンが壊れた。
エアコンの二台をそろそろ稼働させようとフィルターを洗い、乾かすつもりで動かしたまま、
ついでに同じタップから掃除機をかけようとしたのがいけなかった。
最近はスリープからうまく立ち上がらなかったり、妙なタイミングで急に落ちたりして
その予兆はあったものの、まだ数ヶ月くらいは保つのではないか、そんな風に甘く考えていた。
ブレーカーが落ちたのが弱っていた電源周りに留めを刺したのだろう、
うんともすんとも言わなくなった。
分かる範囲内で何とか対処しようとはしてみたが、
もう寿命がきていると感じてもいたから、わりとあっさりと諦めがついた。
こういう物はいつもある日突然に壊れるものだし、
後生大事に開いたままにしておいたブラウザのタブやら、
ちゃんとブックマークせずにデスクトップにいい加減にメモしておいたページやら、
ここ数年分の軌跡が一瞬で失われた訳だが、こうした事も何度か体験すると感受性が鈍くなるのか、
それとも歳をとって色々な執着が薄くなったのか、
ああ、無くなっちゃったな、後でちゃんとしようと思ってたのにな、くらいにしか感じない。
すぐに読み耽って記憶に留めなかったのだから、きっととその程度のものだったのだろう。
失くした物を惜しむ気持ちはさらさらないが、調べものをする時など
暫くは奥さんのパソコンを借りてはみたが、どうにも人のものは使い辛い。
矢張り何年か掛けて自分の癖が染込んだ道具とは使い勝手が違い過ぎる。
早々に自分のものを探さねば、と思った。
そうなると急な出費が切実に痛い。
そうでなくとも僕にとってはとても高い買い物なのだ。
十数年くらい使えるならまだしも、そんなに長く使えた験しがないし、
かと言ってメーカーを変えて値段だけで選べば、また慣れるまで難儀するだろうし、
もう何だか色々と面倒になって、これまで使ってきたのと同じメーカーの
整備済み保証品という名の中古品にした。
不具合があって返品された物をメーカーが修理検品をして、
新品と同じように一年の保証を付けて販売しているもので、
型遅れでその上中古だから新製品よりも幾らかは安い。
予てより大きな画面で映画を観たい、という奥さんの意向もあって、
奮発してモニターだけは27インチの一番大きなものを選ぶ。
メモリ等は必要に応じて後から自分で弄るとして、
どんな程度の物が届くかと少し不安になりつつ注文する。


外見上は言われなければ新品と変わらない奇麗な品が届いた。
中身はと言うと、ブラウザだけ好みのものをインストールし直して少し弄ってみると、
やたらとレインボーアイコンが頻発、フリーズする。
まだ何もする前からメモリ不足ということもないだろうし、少し不安になる。
OSを最新のものにバージョンアップして、念の為にメモリを解放するソフトを入れ、
出来る限りのメンテナンスを行う。
少しマシになった気がするけれど、修理に出すにも再現性も確実ではないし
使えないというほどの不具合とも言い辛いから、
壊れているならもっと判り易く派手にぶっ壊れていてくれたらよかったのに、と思う。
同機種で似たような体験をしている人が他にも居るかと思って検索すると、HDに不良があるという説や、
最初から組み込まれているメモリを別メーカーの物に交換してみたら全く症状が出なくなったという人、様々だった。
取り敢えず手頃なメモリを探して差してみようと考えているが、
初期状態で計四つのメモリスロットに4Gのメモリが二枚差さっていて、
残り二つのメモリに8Gのメモリを増設するというのは宜しくないのか問題ないのかが今一解らない。
同じ規格で増設せねば宜しくないというのは一昔前の事で、
最近の物は容量の異なるメモリが増設されもちゃんと機能する、と書いてあるところもあるし、
いやいや、そんな事はない、同一規格でなければちゃんとは機能しない、としてあるところもある。
初期メモリに相性の問題があるのなら抜いてしまいたいからその場合は8Gを買い足したい。
そのままにして増設すれば問題なく使えるというのであれば、同一規格の4Gの方が無難なのだろうか。
何だかいつまで経ってもこうしたことに疎いので、調べ疲れて頭が回らなくなる。





 


子は相変わらず保育園での風邪の洗礼を受け続けている。
平穏に続けて通えるのは二三日のことで、
四日目以降になると必ず咳をしたり洟を垂らし始めて、発熱する。
僕や妻も煽りを食って、最近ではうちではいつも誰かが風邪をひいている、
というような有様だ。
咳が止まらなくて眠れない辛さは身に沁みて分かるから、
小さな身体を震わせるようにして泣きながら起きてくるのを見るのは辛く、
早く丈夫になっておくれ、とばかり考える。
僕も小さな頃は病気がちで床に臥せってばかりいたから、
こんな風に随分と両親に心配をかけたのだろうと思う。
そんなことさえ、今になって漸く判る。
知った風な気でいたことが、親の立場になってみるとまるで違う。
あとのことはどうだっていいから、病気にならず、事故に遭わず、
生きていて欲しいとだけ思う。
毎日毎日、朝から晩まで顔をくしゃくしゃにして泣いたり笑ったり、
思い切り叫んだりでんぐり返ししたり、その小さな背中を見ながら、
父もこんな気持ちで僕の背中を見ていたのだろうかと考える。







 


子が風邪をひいた。
保育園が始まると次から次へと色々あるよ、と聞いてはいたけれど、早速。
すぐに病院に連れて行ったが、夜半から明け方にかけて熱が上がり、
眠ろうとすると詰まった洟が気道を塞いで息苦しいのだろう、
何度も苦しそうに咳き込んで、泣きながら起きてくる。
喘息を患った経験があって良かった、と、本当に初めてそう思った。
息苦しい時にどうして欲しいか、どうすれば少しは楽になるか、
何処に触れられたくないか、何が欲しいか、すぐに判断して対処することが出来る。
呼吸がままならない苛立ちや辛さを、そっくりそのまま我が身の事として感じる事が出来る。
苦しかった幾年かに、突然ぽんと意味が与えられたような、不思議な気持ちになる。
今理解する事が出来なくても、もしかしたらある日突然、
こうして意外な形で意味を与えられるものが、他にもあるかも知れないと思えてくる。


仰向けは気道が塞がり易く、息がし辛いので
後ろから抱きかかえるようにして、ゆっくり身体をゆすって落ち着かせる。
洟を出来る限り除去して少量授乳させ、
その日は妻が抱いたまま座椅子に座る格好で眠った。
朝になると熱も少し下がって随分楽そうにしている。
妻が病院に連れて行き、吸入等の治療を受ける。
同じ様な事を繰り返して数日が過ぎた。
通い始めた保育園は慣らし期間を殆どお休みにしてしまった。
その間に妻の育休が明けた。
妊娠中から何かと辛く当たった口煩い上司が今月一杯で退職するとのことで、
幾分は気が楽になったが、初日は緊張した面持ちで出掛ける。
僕は僕で、日中をまだ回復しきっていない子と二人きりで過ごす訳で、
自分の食事も忘れてしまいがちな日が続く。
どうなることかと思ったけれど、予想していたよりは泣かず、
母親が傍に居ない不安は、普段はあまり見せない僕への後追い等から多少感じられるけれど、
近くで絶えず話し掛けてさえいれば御機嫌で遊んでいる。
子と二人で通院もし、随分と長い時間待合室で待たされたけれど、
泣きじゃくる他の患者さんの保護者さんから羨まれるくらい大人しく待ち、
泣いて嫌がって大変だったと聞かされていた吸入も何とか最後まで受けて、
病院の方に褒めてもらって御機嫌で帰宅した。
お薬の影響もあって、一日中何度もおむつ替えをして数度シャワーを浴びさせ、
大量の洗濯物をして後追いしてくる子を宥めながら洗濯物を干す。
食欲は旺盛でバナナやリンゴ、芋や野菜を潰して弱火でじっくり焼いたお焼きを、
にこにこしながらよく食べる。
転んでも滅多に泣かず、無痛症じゃあるまいな、というくらい痛みに強い。
僕の父も滅多に痛みを面に出さない質だった。
僕が幼い頃に、悪戯して開いたまま床に置いた大きなホッチキスを踏み、
足の裏に深々と刺さったホッチキスの針を、顔色も変えずに引き抜き、
ちり紙で血を拭いながらゆっくりと僕を見て、静かに
「危ないからこれをこうやって置いてはいけない」と言った。
どんどん赤く染まるちり紙を見ながら、これは酷く叱られるに違いないと思っていた僕は、
どんなに強く叱られるよりも、その静かな一言を肝に銘じたように思う。
随分と幼い頃の記憶の筈だが、よく憶えている。
その後沢山の刃物や機械工具を扱う職場に就いた所為もあってか、
無意識に足許に置く物に気が行く。
尖った物、硬い物が、誰かが素足で歩く場所にあるととても気に掛かる。
最近では僕が、子が知らぬ間に移動させたミニカーや、リモコンを踏む。


叱る事の難しさについて、夫婦でよく話す。
父や母にも迷いはあったろうか。
年老いて小さく、日増しに細くなるという父を想う。
何度か聞かされた、「お前も子を持てば解る」という言葉の意味が、
漸くほんの少し、腑に落ちかけている。






 


慣らし期間中で非常に短時間という事もあってか、
保育園に通い始めた子が驚くほどに楽しげで、
母親の姿が見えなくなった途端に酷く泣き出すのじゃないかと心配していたのが
気抜けしてしまうほどで、迎えに行ってもまだ帰りたくなさそうにするらしい。


通い始めて二日目で、新しいお友達に早速御挨拶(頭突き)をし、
額に小さく切った冷却ジェルシートを貼ってもらって戻って来た。
この御挨拶頭突きは僕も奧さんも何度かされたけど、相当に痛い。
本人は親愛の情を示してでもいるつもりか、挨拶の気でいるらしい。
鼻っ柱や頬骨にガツンガツンとやられてあんまり痛かったので、
「駄目!」と叱ったら、目に一杯涙を溜めて酷く傷ついた顔をして、
挨拶をしてやったのに何故こんな理不尽な目に遭うのか全く解らない、といった様子である。
本当に何度止めても、にこにこと嬉しげに頭突きを繰り返すので、
こちらはこちらでよけるのが上手くなってきた。
親である私たちはそれでいいが、園で他の子にしたらどうしよう、
という不安が現実のものとなってしまった。
何でこの子は誰に教わりもしないのに、こんなに頭突きばかりするんだろう…
と首を捻っていたら、歳が十離れている兄によると、僕にも全く同じ癖があったそうだ。
的確に急所を狙ってくるので、出来るだけ腕を伸ばし、
頭突きが届かないようにして抱かねばならず、
子守をさせられる羽目になると随分酷い目に遭ったとのこと。
そう言われてみれば、兄が僕を抱いて写っている写真に、
髪を逆立て口をへの字に引き結んでカメラを睨み付ける僕を、
腕を精一杯伸ばして抱いた兄が痛そうに片目を瞑っているのがあったのを思い出した。
自分では全く憶えていなかったので、こんな妙な癖まで遺伝してしまうものなのか、
と驚くと同時に、突然始まった頭突き癖の件、腑に落ちた感じもする。


しかし不幸にして僕に似てしまったのなら、
それを僕が叱りつけるというのも何だか気が引ける。
彼にとっては随分と理不尽なことだろう。





 


 


ここ暫く、子の四月からの保育園通いの支度などに追われて落ち着かない。
かなり無理をして、とうとう電動アシスト自転車なるものを買った。
自転車のハンドルに取り付けたシートに子を乗せるので、
幼児用の丈夫そうなヘルメットを探して買った。
雨が降れば寒かろうから、防水のレインカバーを買った。
盗難を畏れて、頑丈な鍵を買った。
随分高い買い物になったけれど、後ろから誰かが背中を押してくれているようで、
どんどん重くなっていく子を乗せていても、移動が随分と楽だ。
それはよいのだけど、通う保育園の周りにはまともな駐輪場がない。
行きは奧さんが乗せて行き、帰りは僕が自転車を回収して
そのまま子を迎えに行く算段だったのだけど、
駐輪禁止区域に長時間放置しておくわけにもいかず、
お高い電動自転車も結局は迎えに行く時にしか役に立たないかも知れない。
それで今度は簡易な折りたたみ式の軽量バギーを買った。
それを使って行きは奧さんがバスで連れて行き、
帰りは僕が自転車で迎えに行く。
バギーは奧さんが折りたたんで持って帰る。
何かと物いりで、何だか保育園にやらない方が、
もしかしたら色々な面で負担が少ないのでは… 等と考えてしまう。


園では「白い上履きを用意せよ」とのことであちこち探し廻ったが、
子の足に合うようなサイズの小さな物はなかなか売っていない。
薄い水色や薄茶のものを見掛けて、これで良かろうと思ったが、
確認を取ると「白でなければいけない」と言う。
何処のメーカーならあるのか、何処で買えるのかと訊ねると、
少しお高いメーカー品と、随分と遠くの店を教えてくれた。
すぐにサイズが合わなくなって、おそらく数ヶ月も使えないであろう物に
大人の物と変わらぬ値段を出すか、長時間電車を乗り継いで
遠くの店まで探しに行かねばならず、誰が、どうして、
白のバレエシューズでなければならん、と決めたのか、
首根っこを押さえて問い詰めたいような気持ちが沸々と湧き上がってくるが、
先々お世話を掛けるのに出だしからこんなことではいかん、と思い直して、
素直に白のバレエシューズを探そう、と決めた。
はあ。


そんなこんなであちこち出向いているうちに花粉真っ盛りの季節になった。
98%花粉をカットするとかいう謳い文句のゴーグルを見付けて買った。
マスクをしても曇りにくく出来ていて、これで目の痒みが少しは楽になれば
洟を垂らして泣きながら自電車を漕がなくても済む。
そろそろ耳鼻科に行って薬も処方してもらわなければならない。
風邪はもうすっかり快癒したと思うのだけど、
そのまま花粉症の症状が出始めて相変わらず洟をすすっているので、
何だか気持ちがすっきりとしない。
目を擦ると粘りけのある涙が出て嫌な感じがする。
愚痴を零しても良くなる訳じゃないが、何とかして少しすっきりしたい。






 


奧さんが少し鼻をぐすぐすさせているな、と思ったら軽い風邪で、
彼女は元来丈夫な質なので、どうということもなく熱も出さずに済んだのだけど、
今度は子が少し鼻を垂らすようになって、それも熱が出たりせずにすぐに良くなって、
僕はというとすぐに人の風邪を貰い受けては酷く拗らせ
なかなかに手放さない質なものだから、普段から気をつけてはいるのだけど、
今度もやっぱりしっかりと貰い受けて阿保みたいに拗らせている。
元の二人がどうということもなく受け流した物が、
どうすればここまで拗れるのか、我ながら呆れてしまう。


そんなこんなでここ数日臥せっているのだけど、今日、ちょっとした騒動があった。
朝から血圧が妙に高くて頭がぼうっとしている。
喉痛、頭痛、腹痛、発熱と出て来る症状をその都度色々な薬で紛らわせ何とか凌いでいるので、
身体の方でもあれこれ対応に追われて混乱するのか、矢張りいつもとは少し様子が違っている。
降圧剤と脈拍を調整する薬を飲んで幾分落ち着いたが、
仮眠から目覚めてもまだ半ば夢の中に身を半分忘れて来たような具合がする。
妻が用事で出掛けたので、もそもそと起き出して子に芋など食べさせて朦朧と留守番をしていると、
玄関の方でガチャガチャと物音がする。
子を抱いて見に行ってみると、ドアポストから乾涸らびたような白い指が伸びて来て、
ドアの内側を必死に引っ掻いている。
まだ夢を見ているのかと思ったけれど、指はいつまでも引っ込まない。
呆然と暫く眺めていたが、あんまりしつこいのでドアを開けて何をしているのか訊ねてみた。
一階のロビーで何度か見掛けたことのあるおばあさんが驚いた顔で立っている。
「何をしているのですか」との問いに「あなたこそここで何をしているのか」と言う。
「ここは私の家です」
「いいえ、ここは私の家です」
「あなたの家は別な階ではありませんか?表札だってあなたの名ではないでしょう」
「あらあら、こんなに物を運び込んで… いつの間に…?」
会話の内容もまるでかみ合わなくて、益々悪い夢を見ているようだ。
表札を見ても、玄関の中を見ても、ここは私の家だと言い張って利かない。
落ち着いて「おばあさんのおうちは何階ですか」と問うと
「そんなことわからないわよ」と得意げな顔で即答される。
抱いた子が重くて段々に腕がだるくなるし、下がりかけた熱がぶり返しそうだ。
子が退屈して今にも暴れ出しそうだし、
おばあさんはずんずん家の中に入って来ようとするしですっかり困り果てていると、
「寒空の下、子が気の毒だから」と、一時的にここに居てもよい、と許可をして
「私が誰それに事情を訊いてきてあげる」と悠然と去って行った。
気になって、急いで部屋着から着替え、子を抱き直し後を追ったが、
多分別な階で同じことを繰り返しているのだろう。
もしかしたら出掛ける度に家を忘れて、
各階総当たりして何とか自分の家に辿り着いているのかも知れない。
以前も、明け方近くゴミ出しに行った帰りに呼び止められて何か訊ねられた。
身振りで後を付いて来いと言うのでゴミ捨て場まで引き返すと、
何を訊ねたかったのか忘れてしまったようで、独り言のように
「困った困った。これじゃ解らない…」とゴミの山を見て首を振りながら何処かへ行ってしまった。
解らないのはこちらの方で、何だかぽつんと取り残されて妙な気持ちになった。


背筋のシャンとした身なりのよい、品の良さそうな老婦人で、
きっと誰かの大切な母であり、誰かの大切な妻であるのだろう、
またはそうであったのだろう、と思うと、
何となく薄ら寂しいような、切ないような気持ちになる。