慣れ

 

今週のお題「ちょっとコワい話」

 

久し振りに覗いたら、Blogのお題、というのが目に入って、それが「ちょっとコワい話」というので、暑気払いになるかどうか判らないけれど珍しく乗っかってみることにする。

 

まだ猫一匹と人一人で暮らしていた頃、ちょっとした事情があって、以前に鍼灸院として使われていた旧い建物に棲んだ事があった。

二階建てで、診療ベッドを幾つも並べてカーテンで仕切っていた診察室の名残がそのままにあって、元々住居として建てられたものではなかったから住まいとして使うにはいくらかの工夫が必用だったけれど、広々としていて猫も一階と二階を自由に駆け回って快適そうにしていたので、僕としては何の不満も無かった。

しかしそれまで都内の息も詰まる様な狭いワンルームで暮らしていた所為か、急にがらんとした家で眠るのに不慣れで、越してすぐは寝付きが悪く、おかしな夢を見ることが度々あった。

眠っていると、二階にゆっくりと上がって来る階段の軋む音がして、ふわりとした白いワンピースを着て、髪を後ろでお団子にした白人の中年女性が現れて、僕のベッドの周りをふわふわと漂いながら、聞き覚えのない言葉で何かを盛んに耳許で囁く。

髪も肌も服も全体に白っぽくて、大柄ではないが幾分ふくよかな感じの人で、怖いというほどでもないのだけれど何を言っているのかさっぱり解らないし、どうにも場違いな感じでもあるし、兎に角距離が近いので気味は悪い。

起きてからも夢にしてははっきりとした印象が残っていて、つい先程までこの部屋に誰か居た、という感じがして奇妙な体験だった。

これはまあ夢見が悪かった、というだけのことであって、珍しくもない。

 

この建物にあった鍼灸院はすぐ近くに新築して移転していたのだが、時折以前の患者さんが間違えて訪ねて来てしまうことがあった。

そういう時は丁寧に移転先を案内してお引き取り願っていたのだけれど、暫くするとそれが明らかに診療時間外の時にも起こるようになった。

建付けの良くない古い建物な上に診療院によくある硝子扉だから、施錠をしていても外からドアを開けようとするとサッシが大きな音を立ててギイッと鳴る。

その上二階の雨戸も振動でぼわんぼわんと大きな音を立てるので、すぐに気付いて玄関へ出向くのだけど、つい今しがたまで鳴っていたドアを開けると、もう誰も居ない。

それは夜半だったり、明方のまだ薄暗い時間帯によく起こった。

ドアにでかでかと移転先の張り紙もしていたし、病院でも案内を出していたから、そのうちそうした間違いは殆ど起こらなくなったのだけれど、それでも時折間違えて来てしまうのはかなり御高齢な患者さんが多く、そうした患者さんの中には暫くお見掛けしないなと思っていたら、何時の間にかお亡くなりになっていたということも然程珍しくはない、という話を聞いた。

 

矢張りこの鍼灸院の関係者から聞いた話でこんなエピソードがある。

ある常連患者さんで、一階の待合に座る場所もない程混んでいる時に、治療が必用な状態の高齢女性を立たせたまま長く待たせるのを気の毒に思った施術師が、二階なら席が空いているからどうぞ、と二階へ通そうとするのだけれど、どんなに勧めても頑なにそれを拒むので、不思議に思って理由を訊ねると、二階はいつも、もう居なくなってしまった筈の古い常連患者さんたちで満席だから、と答えたのだそうだ。

 

時間に縛られず昼となく夜となく訪ねて来てはドアを鳴らしていたのは、一体誰だったのか、何時の間にか、ドアが軋むのも雨戸が鳴るのにも、階段がゆっくりとした足取りで踏みしめられるように音を立てるのにも慣れ、一々出向いて様子を窺う様なこともしなくなった。

 

慣れというのは怖いもので、人は大抵の事に慣れてしまう。

何度も繰り返し体験するうち、感度が鈍くなるというのか、麻痺するというのか、兎に角一々反応しなくなる。

この頃この家で使っていたのは、当時としてもけして新しくはないブラウン管のテレビで、大型のスピーカーを搭載しているのを売りにした、無駄にでかくて重たく黒い、薄くて軽い物ばかりが持て囃される中で取り残された、「時代の遺物」だった。

音はそれなりに良かったので映画を観るのにもゲームをするのにも都合が良かったが、これがここへ越してからというもの、段々に狂い始めた。

狂う、という表現がぴったりの壊れ方で、番組の途中でもゲームの途中でも、いいところでお構いなしに勝手にチャンネルが変わる、ボリュームが勝手に大きくなったり小さくなったり、挙げ句の果てには勝手に切れて無反応になる。

諦めてリモコンを投げ出すと勝手に電源が入る、といった調子だ。

真夜中に突然電源が入って砂嵐を映し出し、ザーザーという音量を最大に上げて叩き起こされた時は流石に驚いて固まったが、暫くするとまた勝手に切れて、部屋は何事もなかったように静まり返った。

来客のある時も点いたり消えたり勝手にチャンネルを変えられたりが頻発するので、何時の間にかそれが当たり前になって、客も僕ももうそういうものだと諦めてそのままにしていた。

慣れた客になると、最初は気味悪がっていた者もゲームの途中でチャンネルが変わるので、テレビに向かって悪態をつくぐらいにまでなった。

何しろ買い換えるお金もなかったし、全く使えないという訳でもないのでついそのままに過ごしたけれど、今になって思い出すとちょっとしたB級ホラー映画の演出みたいなことが、日常茶飯事に起こっていた。

 

今にして思えば、どうして当時もっと怖いと感じなかったのだろう。

その都度怖いとは思った筈だが、こうして事象を書き留めると、もっと怯えてもよさそうなものだという気がする。

 

猫が居たからだろうか。

細くて小さくて、抱くと本当に驚くほどに軽い猫だったが、いつも凛として白く輝いていた。

常に堂々として、主の様に振る舞っていた。

実際、そうだったかも知れない。

どんな暗闇でも手を伸ばせば、柔らかで温かいその身体に触れる事が出来た。

いつも傍に居て、指先にその温もりや喉を鳴らすのが伝わるだけで、殆どのことが、取るに足らない些細なこと、と思えた。

 

触れることが叶わなくなってから、もう数年が過ぎた。

今も恋しく思わない日はない。

どんなことにも慣れるのに、手を伸ばしてもそこに居ないことに、暗闇で喉を鳴らす音が聞こえて来ないのにも、まだ慣れない。

 

猫も盆には、戻ればいい。

 

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記憶

日が長くなったので、時折保育園の帰りに公園へ寄り道をする。

ブランコを押していたら長男が唐突にこう言った。

「ねーねー、ちーくんが赤ちゃんだった時、ちーくんのこと、おばあちゃん抱っこしたよねー?」

「したよ。どうして?」

「おばあちゃんもう来ないの?」

「うーん、おばあちゃん遠くへ行っちゃったからねえ。」

「何処行った?」

「天国に行っちゃった。」

「天国ってなに?」

それで言葉に詰まった。

安易に「天国」などと言ってしまったけれど、それがどんな処なのか、あるのかどうかさえよく解らない。

「おばあちゃんはアイアンマンみたいにびゅーんてお空に飛んでっちゃったから、もうなかなか遊びには来れないけど、ちーくんの事が大好きなのはちっとも変わらないから、憶えててあげてね。」

「うん。」

長男の大好きなアイアンマンで誤魔化したみたいな気もするけれど、

もうこんな会話が出来るようになったのだな、という感慨と、こうした時にどう説明するか、というこちらの準備が全く出来ていないのに気付いて少し焦る。

こうした時に避けたりせず、子に解る言葉で死についてもきちんと話しておきたいのだけれど、どんな風に言えば良いだろう。

ブランコに揺られながら、四歳なりに何か祖母を思い起こす事があったのか、もう随分顔を見ないな、どうしてかな、とでも思ったのだろうか。

本当に抱かれた記憶があるのか、母が生まれたばかりの長男を抱いている写真を見て、僕が以前にそう話して聞かせたのを憶えているのか。

 

 

 

 

 

突然の訪問

大学時代の友人から連絡があり、嬉しい突然の訪問。

出張の為に移動中なのだけど、新幹線を途中下車して寄ってくれるとのこと。

会うのはもう随分と久し振りで、長男が生まれて少ししてから一度、上京した折に会ったきりだから、もう四年近くも会っていなかったことになる。

僕が結婚して引っ越しをする前は御近所だったこともあり、しょっちゅう会って取り留めのない話をしたりして一緒に過ごした。

友人の仕事帰りに待ち合わせてそのまま食事に出掛けたり、或いは仕事中に抜け出して珈琲を飲んだり。

時々は晩に珈琲道具一式を持って食後の一杯を淹れに来てくれたりもした。

ポットに入れられた熱々の旨い珈琲がポストに投函されていることさえあり、そんな時は「珈琲入れといたよ」とメールが入る。

今改めて自分の日記内を「ポスト」というキーワードで検索してみたら、この友人から珈琲だけでなく、茶菓子やフルーツ類等、ありとあらゆる物がポストに届いていたのを思い出した。

 

いつも突然の訪問で、友人は少し申し訳なさそうにするのだけれど、一度も迷惑に思ったことはない。

そればかりかこの「突然の訪問」が暫くないと、何処となく物足りないというか、寂しかったものだ。

僕は友人が多い方ではないし、人付き合いもけして良くはない。

連絡をまめに取ったりもしないけれど、数少ない友人達は今もこうして時々は訪ねてくれるし、会えば数年のブランクなどまるで嘘のように、少しも変わらず一緒に過ごす時間を愉しむ事が出来る。

とても恵まれているのだと思う。

 

久し振りに訪ねてくれた友人の前には、あっという間に積み木やおもちゃの山が出来た。

子供達が代わる代わる絵本やお気に入りのおもちゃを持ってきては友人の前に積み上げて行く。

膝の間に割って入って甘える。

下の子などは勿論初対面の筈なのに、遠慮会釈無く甘えていた。

 

僅かな時間だったけれど、とても嬉しい時間だった。

互いに、時には大切な人を見送らねばならない歳になった事を嘆いたりもしたけれど、互いが元気で居るうちは、多分この先も、何年経っても、こうして共に過ごす時間はこれまでと変わらず、愉しいものになるだろう、と確信する。

老いて尚、笑い合う事の出来るだろう友が居る事が、嬉しく誇らしい。

 

 

 

 

黄金の日々

先月の初め頃だったか、或いはもう少し前か。

長男が園で貰って来た風邪にやられて、寝込んだ。

咳が酷かった以外は熱もそれ程には上がらず、

とは言うものの40度代迄は行かずにぎりぎり踏み留まる、という感じではあったのだけれど。

横になると酷く咳き込んで眠れない様子なので、何度も起き出してはクッション等を積み上げて姿勢を整え、上体を高くしてまた少し眠る、というような数日を過ごすうち、疲れが溜まったのか会社で別なのを貰ったか、今度は妻が咳き込み始めた。

一緒に倒れられては困るので、いつもよりはあれこれと動き回るうちに、長男は何とか快方に向かい、それに気を許した所為か、今度は僕が咳き込み始めた。

大人の咳はなかなか治まらず、時折家のあちこちで顔を伏せてげふげふやっているうちに、とうとう次男に感染った。

最初期は大して熱も出ずに洟水と咳が少し、で治まって行くかに見えた。

大事を取って数日休ませ、二人ともすっかり元気になったと思って保育園へ。

迎えに行くと珍しく次男が大泣きしており、保育士さんが「熱が9度近くある」と言う。

慌てて連れ帰って、それからはまた二人とも園を休ませてずっと家で過ごす。

どちらかを置いて片方だけを園へ送り迎えする、という事がまだ出来ない。

だからどちらか一方が体調を崩せば一蓮托生、二人とも家に引き篭もらせなければならなくなる。

 

そんな風に、あっという間に一ヶ月が過ぎてしまう。

それが年に何度も繰り返される。

先の予定など立つ筈もない。

徹底した健康管理、大嫌いな根性論を振り翳して踏み留まろうと足掻いても、僕も妻も、結局は倒れる。

そうしてそんな時に頼る事の出来る人は、もう居ない。

あれこれと気遣って支えてくれた人は、もう居ない。

だからやっぱり、大嫌いな根性論に縋って、何とか踏み留まって立っていようと足掻くしかない。

 

ゴールデン・ウィークに入ったら、何も出来なかった結婚記念日の代わりに、子を預けて偶には二人だけで美味しい物でも食べに行こう、と算段していたのだけれど、その頃には僕の体調が最悪で、一向に治まる様子のない咳と微熱にじわじわと削り取られて、食事も喉を通らなくなっていた。

元々世間様が楽しくしている時期には家に引き篭もって静かに過ごす事の多い二人だけれど、一度も外に出られず、何一つ楽しい出来事もなく臥せっているうちに休日が終わっていくのには、流石に気持ちが鬱々とした。

二人きりで出掛けるのなんて、何時また出来るだろう。

来年か、再来年か、或いはもっと先か。

 

それでも休み明けの最後の土日に来客があり、土曜は妻が友人と遊びに出掛け、日曜はいつも子供達にたくさんの贈り物を惜しみなく与えてくれる友人が遊びに来てくれて、公園で沢山遊んで貰って嬉しそうなのを見て、随分と気持ちが救われた。

この友人はいつも本当に沢山の贈り物をしてくれる。

こんな事、身内でさえもしてくれたことがないというほどの、見返りを求めない贈り物。

御本人曰く、「趣味みたいなものだから」とは言うものの、こんなに甘えてしまっていいものかと恐縮しながら、ついつい充分なお返しも出来ぬままに甘えてしまっている。

 

 次男が二度に渡って発熱を繰り返したのは、軽い中耳炎を併発していたからであった。

投薬を続けて、今は快方へ向かっている。

 

 

 

 

 

 

額の感触

いつもの事で、後で書き留めておこう、と思った切り、更新せずにそのまま過ごして忘れてしまう日々のあれこれ。

 

二人の子は無事に四歳と二歳になり、上の子はもうかなり色々と話をして意思の疎通が可能となり、殆ど親を困らせる事もなく、優しく物分りの良い様子に却って不安になるくらいで、只、おむつだけがまだ取れないでいる。

一時間おきにトイレへ連れて行けば粗相することもないが、小用の方だけはどうしても自己申告をしてくれないので顔色を窺っては「トイレは?」を繰返す。

それもきっともうすぐ何とかなるのだろう。

身体が弱くて風邪ばかり引いていたのもやっと一段落して、最近は少し病院通いの間も開くようになってきた。

後は気が優し過ぎて下の子に泣かされてばかりいるのが少々気掛かりなくらい。

園で誰それが僕を叩いたんだよー、等と報告してくる事がよくあるので、「そういう時はやり返さないの?」と訊ねると、「うん、僕はしないよ。」と笑う。

「どうして?」「だって先生が怒っちゃうもの。」と言う。

やられたらやり返す、という考えに全く及ばないのは、弟とのやり取りの中にも覗える。

きっと諍いが苦手で穏やかな性格の妻の方に性格が似たのだろう。

僕はやられたら即座に何倍にもしてやり返すような疳の立った子供だったから、これで良かったような、少々心許なく感じるような複雑な気持ちで見ている。

下の子はいくらか僕に似てしまったようで、お兄ちゃんへの仕打ちは容赦ない。

毎日のように兄を泣かせては楽しげに笑っているが、それでも兄と遊ぶのは大好きな様子で、いつも傍にくっついて離れない。

 

 

先日、父の容態が悪くなって、とても久し振りに父を見舞った。

父はもう家族の顔も判らなくなって、母が亡くなったのも知らずにいる。

何もかも忘れてしまっても日々が穏やかに過ごせるのなら、それでかまわない、と思う。

それを寂しく思うのはこちらの都合であって、もうあれこれと高望みして求めてはいけないのだ。

戦火を経験し、充分過ぎるほどに働いて苦労に苦労を重ねて来たのだから、夫婦でもう少しゆったりとした良い時間を過ごして欲しかったけれど、そう思うのもやっぱり僕の都合に過ぎない。

痩せて小さくなった父の額に手を添えると、乾いたひんやりとした感触が伝わって来て、それがいつまでも掌に残った。

近くの公園で待たせていた妻や子のところへ戻ると、子供たちが大はしゃぎで滑り台から歓声を上げている。

ついにこんな暖かな日差しの下で一緒に過ごす事が一度も出来なかった事を、悔やむ様な気持ちになるのを振り払うのに苦労する。

顔に明るい日差しを受けているのに背中はいつまでも冷えたままで、何だか自分が何処に居るのかよく解らないような気持ちになった。

二度目の見舞いに行く時、父はきっともう目を覚まさないだろうけれど上の子を連れて行こう、これが君のお爺ちゃんで、お父さんのお父さんなんだよ、と言っておこう、そう思って病院へ向かったのだけれど、結核を発症して感染のおそれがあるという事で、それも叶わなかった。

病室へは僕が一人で入り、父が眠るベッドの横に暫く黙って立っていた。

悲しいのか悔しいのか、自分が何をどう感じているのか、もやもやとして判然としない。

掛ける言葉も浮かばない。

 

高齢である事や病状から、特別な延命措置は取らない事、すぐに設備の整った別な病院に転院になる事等の説明を受ける。

今はもう只々、苦しまないで楽にしていて欲しい。

母の時と同様、そればかりを考える。

不器用で寡黙で、プライドの高かった父の姿を憶えている。

僕の中に何時迄も残るのはその姿で、今の父の姿ではない。

それはきっと父がそう望むと思うからで、自分もそうありたいと考えるからだ。

 

病を得て、どんな最期を迎えても、生きた時間の価値が変わる事はない、と考えるようになった。

そう信じたいのかも知れない。

そうしてそれを家族や親しい人たちには知っていて欲しい。

そう伝えておこう、と思う。

病であろうと事故であろうと、家族に哀れに思ったり、理不尽也と憤ったりして欲しくはない。

だから、僕もそうしようと思う。

 

 

 

書き残しておく理由

決して楽観的な方ではないが、自分では、大袈裟に悲観的な方でもない、と思っている。

 

誰にでも明日が来るわけではない、と考えているし、普段からそのように生きようと心がけてはいるが、気付くと色々と先送りしたり疎かにしている事ばかりで、この日記もそうした事の一つに挙げられる。

 

僕が子供達と過せる時間は、もうそう長くはない。

身の回りの色々な事情を踏まえた上で現実的に考えてみて、かなり甘く、楽観的に前向きに見ても、自分が満足がいくまで見守って傍に居てやれる時間、はどうやっても得られないだろう。

これはきっと、出来得るならばいつまでもいつまでも見守っていたいと考える多くの親がそうだろうし、僕に限った事でもあるまい、と思う。

只、不本意ながら、子供達が物心付く前に別れが来る、という事も考えられるわけで、自分が何をどう考えていたかを何も伝えられないままにそうした事態を迎える事となれば、それはきっと心残り甚だしいことだろう。

それで、些細な出来事であっても自分が何を見てどう感じたか、どんな考えを持っていたかを何処かに書き記しておいて、いつかそれを子供達が「へえ、親父はこんな事を思ってたのか」と読んでくれたら、と考えるようになった。

或いはこれを目にした友人や身内の誰かが、子供達に伝えてくれたら、と思っている。

 

最近、子供達がいつかこんな体験をしたら、自分だったらどう対処してどんな風に言ってやれるだろうか、というような事をよく空想する。

それが一般的、模範的な対応ではなかったとしても(多くの場合そうだ)、僕はこんな風に思う、という事をその都度子供達に伝えていきたいのだけど、それは前もってどうにか出来る事ではなくて、子供達が直面した何か、に出会った時にこそ効力を発揮するのであって、今から預言書のように用意しておいたとしても、きっと役には立たない。

きっと早かれ遅かれ、多かれ少なかれ出会うだろう事の幾つかについて、ああも言ってやりたい、こうも言ってやりたい、何かの助けになるかも知れない、ヒントになるかも知れないと思う事はあるのだけれど、歯痒い事にタイムマシンでもなければ直接伝える事は難しそうだ。

出来ない事をあれこれ思い悩んでみても仕方がないので、今伝えておける事は何だろうと考えてみて、自分が小さな頃に両親にして貰った事で、今も自分の核の部分に、その一部となって残っているものを思い返してみる。

 

不安な時、悲しい時に背中に添えられた大きな手の暖かさ。

それから「だいじょうぶ、だいじょうぶ。」という小さな声の大きな魔法。

 

これならきっと今のあの子達の中にも少しは残るだろう。

年明け早々から交互に熱を出して寝込む子供達の背中を擦りながら、「だいじょうぶ、だいじょうぶ。」と声に出して言う。

子を持つまで忘れていたこの言葉のぬくもりや重さを、今にして知る。

もしかしたら、そうする事で自分にも魔法をかけたかったのかも知れない、という事に思い至ったのも、やっと今にして、だ。

馬鹿だから、大切な事には、何時だって気付くのが遅い。

 

そもそもこんな事を考えるようになったのは、母が孫達と過ごせた時間があまりにも短かったのがきっかけだった。

それでも母は僅かとはいえ孫達と過ごす事が出来たけれど、僕は事情があって、そうする事が難しい。

まだ老齢の域に達してもいないのに孫の事を考えるだなんて滑稽だけれど、世の中には僕と同じ年頃で孫を持つ人達だって然程珍しくはない。

母にもう少し子供達と一緒に過ごして貰いたかったと考えるあまり、では自分はどうなのか、と思い、もしも子供達が将来自分の子を持つ事があれば、矢張り寂しく思うのだろうか、好々爺になって、思い切り甘やかしてくれる存在のない事を一体どう感じるのだろう、等と思ったのだ。

 

二人の息子たちへ

もしもそうする事が出来たのなら、僕の母がそうしたように「私は甘やかすのが役目なんだから、思い切り甘やかさせて貰うよ、厳しくするのは親の役目で、私のはもう済んだんだからね。」

そう言い放って、思いっ切り甘やかして、どんな事でも全部、なーんでも許してくれる存在、として君たちの子供の記憶の中に君臨するのだ、君たちが見たこともないくらい優しいお爺ちゃんとして。

と、ここに書き記しておく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

非常扉

段々に冷えてきた所為か、またもや腰を痛めてしまった。

普段からあれこれ工夫もして気をつけている筈なのに。

前回の時程ではなく、時間を掛けさえすれば何とか自分で立ち上がれるから、まだマシだと思う事にする。

とは言え子供の送り迎えも満足に出来ない。

それで新しい職に就いたばかりの妻に無理を言って、少し早引けしてもらっている。

まだ充分に馴染んでいない職場で肩身の狭い思いをするだろうから申し訳ないのだけれど、どうにも他に打つ手がない。

寝たきりでいると回復が遅れたり予後が悪いというから、無理のない範囲で時々そろりそろりと起き出して、出来る限り普段の日常生活に近い動作をしてみている。

しかし矢張り色々と満足にはこなせない。

やるせなくパソコンの前に座ってみたりして、珍しく更新でもしてみようかという気にもなる。

 

腰を痛めてしまった日の出来事。

何となく嫌な予感はあって、ずきずきと痛み始めていたのを気に掛けながらサポーターで締め上げて自転車に乗り、子供達を迎えに行く。

慎重な動作を心掛けつつ帰宅し、マンションのエレベーターに乗り込む。

子供達は帰り着く頃にはいつもくたくたに遊び疲れ、腹ぺこだから、家に入ったらぐずり出す前にテレビを点け、気を紛らわせながら夕飯の支度をする。

色々と手早くする必用があるので、エレベーターに乗り込むとあれやこれやと手順など考えつつ鍵を取り出して、扉が開くと同時に足早に玄関に向かうのが常だ。

その日も子供達を先に降ろすと、自分は先を急いで玄関の鍵を開け、扉を支えて子供達を中へ招き入れようとした。

長男は僕のすぐ後ろで玄関が開くのを待ち構えていたが、一番先に降ろした筈の次男が居ない。

あれ、と思ってエレベーターの方を見ると、僕からは死角になって見えない非常扉のある廊下の先を向いて立ち止まったまま、何かを注視している。

一体何をしているんだろう、と見ていたら、ゆっくりと手を上げて何かを指差し、そのまま笑顔になって、「やあ」と挨拶でもするようにそちらへ手を振り出した。

エレベーターを降りた時には非常口のある方の廊下には誰も居なかったし、他の家の扉も開いてはいなかった。

静まり返って薄暗かった廊下の闇が、ふっ と一層深くなるような、何だか気味の悪い感じがして、慌てて「どうしたの、早くおいで。」と声を掛けながら近付き、手を引いて家に入る。

非常扉の前は、矢張り暗く冷え冷えとして、二世帯ある家の扉はひっそりと閉じられたままだった。

そちらに何か子の興味の引くものでもあれば腑に落ちもするが、あれは確かに、人に向けられた笑顔だった。

誰かに微笑みかけられた時の、お愛想を言って貰ったりあやして貰ったりした時の反応だった。

そして次男はそんな時でも、初対面の人に笑い返す事は、滅多にない。

親が少しバツの悪い思いをするくらい、口をへの字にして訝しげに見つめ返しはするが。

 

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