料理も掃除もまるでする気にならない。
暑さの所為か、元々怠惰な性格の為か、多分その両方だろう。
このところ分不相応に外食ばかりしていたし、
本当はきちんと自炊をしなければならないが、
面倒だし素麺か茶漬けでも、と思っても、
湯を沸かすのも嫌になる様な蒸し暑さ。


長い間部屋の掃除もしていない。
西部劇のタンブル・ウィードさながら、
チィさんの抜け毛が扇風機の風に煽られて玉になって転がって行くのを見て、
漸く重い腰を上げて掃除機を取り出した。


使っている掃除機の吸塵室は透明な樹脂製で、
あっという間にチィさんの抜け毛や埃で綿飴の様な白い塊が作られてゆく。
よく見るとその中に幾重もの黒い筋が走っている。
人の髪だ。
髪というのは抜け落ちた途端に不気味な存在感を放ち始める。
束になれば尚の事不気味で、先日も詰まりかけた風呂の排水溝に手を突っ込んで
髪の束を掴み出した時には、何とも言えない奇妙な気持ちになった。
たかが髪なのに、人体から離れた途端に、何故こうも強烈な存在感を持つのだろう。


まだ学生の頃、深夜のホテル清掃をしていた時期があった。
当時にしては割の良いバイトだったし、何より広いホテル内に散らばって
殆ど一人で黙々と清掃するので、誰とも口をきかずに済むのが性に合っていた。
ある時、女性用化粧室の清掃時に、それまで軽快に床を滑らせていたモップが
急に重みを増した様に感じられて見てみると、尋常ではない量の
真っ黒な毛の束が、白いモップに絡み付いていた、という事があった。
ぞっとした。


髪に纏わる怪異譚を集めた短編集を読んでいる。
ページを捲って行くと、時々髪が一筋挟まっている様な印刷がされていて面白い。

中に鶴屋南北の 東海道四谷怪談「髪梳き」の場 が収録されていて、
これは主に、お岩の亭主である民谷伊右衛門の悪辣ぶりを描く場面で構成されている。
これが実に凄まじい。
病に臥せっているお岩から身包み剥いで高らかに笑って見せる伊右衛門の描写は
情け容赦がなく、悪辣な事この上ない。
観客が“これを祟らずにおくべきか”と感じなければならないから、
その点では鶴屋南北の天才ぶりが窺える。
人間らしい悔恨の念や憐れみなど、欠片もない。
本当に怖ろしいのはお岩の怨念ではなく、この伊右衛門の非道さにある。
ここまで堂に入った悪党ぶりなら、いっそ清々しいとさえ感じる。
何事も中途半端が一番宜しくない。