気が付けば何ヶ月も日記を書いていなかった。


体調は相変わらずだけれど、薬の使い方にも慣れて随分と巧く対処出来るようになった。
数回の検査で得られたのは、頻脈の原因はおそらく心臓疾患にはないという事と、
甲状腺の異常でも、肝炎でもないという事。
それがここ数ヶ月の成果で、不安定な血圧や頻脈、息切れの原因は特定出来ない。
それならば、判らないなりに受け入れて対処の仕方を学ぶしかなさそうなので、
薬の種類や使い方を自分自身の身体で試し、自分なりにデータを取っている。
それから前よりも少し、健康に気を遣うようになった。と、思う。


生きていたい理由が出来た。
勿論今までだって死にたいなどと思っていた訳ではないけれど、
死を畏れたり、厭わしく思う気持ちが、どうも人より足りていないのではないか、
と感じることが度々あって、自分はその辺の感受性が鈍いのかも知れない、と感じていた。
身近な者にいつ降り掛かるかも知れない災難を、
起こらない確証がないという理由で何の根拠もなく想っては嘆き、極端に怖れる癖に、
自分の事となると途端に他人事のように薄ぼんやりと眺めてしまう。
結果的に色々な責任を放棄する事にもなるし、
そうした態度が卑怯だというのも解っているのだけれど。


家族を得る迄は、毎日を無事に過ごしたい最大の理由は、
チィさんの水を取り替える事と、新しい食事を用意する事だった。
そう言うと、そんなに生きる楽しみのない暮らしなのかと思われてしまいそうだけれど、
そうではなくて、生きているのは楽しい。ほんの些細な事が、とても楽しい。
雲を見るのも、雪が降るのも、寒いのも、暑いのは苦手だけれど、
ガラクタを掘り出して買い漁るのも、怖い話を聞くのも、
どれもこれも楽しくて仕方がない。
家族を得てからは、それまでにも増して、日々の些細な事は輝きを増した。
何でもない事がとても大切で、僕にとっては何にも代え難く大きな意味を持つ。
見て、聴いて、息をして、そしてそれを味わってさえいられれば、
多少の体調不良など些末な出来事に過ぎず、僕は相変わらず楽しくいられる。


家族が増えるかも知れない。
チィさんが居なくなってがらんとした家の中を、
埋まらない隙間を埋める為に愚かにも買い漁ったぬいぐるみが溢れた家の中を、
少しづつ片付け始めている。


家族が増える。
そう知って、これまでとは違った恐怖を感じた。
今まで感じたことのない不思議な感覚を味わった。
必要とされた時、その場に居られないのは怖い。
大切な人の楯になれず、剣にもなれず、何も知らずにいることが堪らなく怖い。
喜ばしい事の筈なのに、無闇に怖くて、困惑して、どうにも不安になった。
怖いと思うとあれもこれも怖い。
どんどん怖くなって、どうしていいか解らなくなってしまう。
幸いまだ考える時間が残されている。
困惑顔のままその時を迎えなくてもよいように、
自分の気持ちを整理しておかなくては、と思う。


チィさんを抱いて家族写真を撮った居間で、
新しい小さな命を抱いて家族写真を撮る日のことを想う。







 




 


四度目の受診。
処方された薬がよく効いて、心拍は落ち着いている。
息切れは相変わらず。
超音波検査というものを初めて受けた。
ホルター心電図に表れた様な、日に数度の頻脈の原因は特定出来なかったが、
超音波検査の結果からも心臓に重篤な障害の兆候は見られないとの事。
心因性という事も考えられるが、思い当たる節が何もないのなら、
他の臓器の検査を受け直す必要がある。


ベータブロッカーと呼ばれる薬で心拍を抑えているので、
外で動悸が治まらなくて冷や汗をかく様な事は殆どなくなった。
負荷を掛けた時の、これまで感じたことのないような倦怠感や息切れが
この薬の副作用と重なる為、別な薬を一週間ほど試用して
症状の軽減が見られるかどうか経過を見る事になった。
心臓専門の医者なので、「心臓はまあ今のところほぼ正常です。
何処か他の部位に何か問題があるとしても、(この不調の原因は)心臓が原因ではない。」
という言い方が、如何にも専門分野に特化したエキスパートらしく可笑しくて、
検査を受けながら危うく笑い出しそうになるのを必死に堪えた。


重箱の隅を突く様にして探し廻れば、何処かにはこの不調の原因が見付かるだろうが、
そうやって自分の身体の不調の原因を詳しく特定して知っておきたいという気持ちは、
正直なところあまり湧いてこない。
そうして必死に健康を追い求める自分の姿が、どうにも不健康に思えてしまうから。
とは言えこのままにもしておけぬので、検査は続けなければならないが…。




この頃、「曖昧」、という事についてよく考える。
あまり良い意味で使われない言葉かも知れないが、
曖昧さのない世界を想像してみると、僕にはそこが居心地の良い世界とはどうしても思えない。
勿論はっきりさせておかなければならない事が数多くあるのも解ってはいるけれど。

性別、年齢、人種、人と動物の権利、勝者と敗者、
生きているものと死んでいるものの境、昼と夜、正常と異常、夢と現。
考えてみれば、その境にある者達に、ずっと惹かれてきた様に思う。
何故なのか自分でもよく解らないけれど、
極めて狭量で、物事の受け入れられる範囲が極端に狭い人間であることへの裏返しなのかも知れない。
僕はすぐに敵か味方かを分けたがる傾向があるし、
曖昧を許さず他者を追い詰めてしまう様なところがある。
自分のそういう部分にそろそろ嫌気がさしているのかも知れない。


時々、曖昧を許して互いが混じり合えば、けっこう穏やかな場が出来上がって
色々なことが巧く収まりはしないか等と夢想する。
夢想している間に段々と眠くなってきて、色々な分別が曖昧に混じり合って
猫の毛玉みたいにふわふわと漂い出す。
それは悪夢なのか、いつまでも浸っていたい様な居心地の好い夢なのか、
その境さえも曖昧になってゆく。












  


空港で荷物を失す夢、冷蔵庫が開いたままになっていて、中の物が全て腐ってしまう夢。




薬の影響で日中とても眠い。
無理をして起きていても、時々ふらふらと意識が何処かへ跳んでいる様で、時間の経過が判然としない。
時々転た寝をしてしまうのだけれど、その度に妙な夢を見る。
帰国の途中で、旅の思い出がいっぱい詰まったトランクを見失う夢。
旅の疲れが出て色々な事に気が回らず、普段ならしない様な失態を繰り返している。
人混みで何度も人にぶつかるし、自分だけが流れに逆らって別な方へ行こうとしている様に感じる。


何処に行き、何処に帰るのか判然としないが、僕は旅を終えようとしている。
経由した異国の空港で自分が乗る便を待つ間に、持ち物の殆どが詰まったトランクを見失った。
何処かに置き忘れたのか、盗まれてしまったのか、それさえも判らない。
必死に探し廻るが、不慣れな場所で言葉も不自由な上、疲れ切っていて、
もう二度とあの荷物を取り戻す事は出来まい、と諦めた気持ちになる。
旅で手に入れた様々な物、土産にする筈だった物、他にも大切なものが色々と詰まっていた。
何処かに忘れ去られて打ち棄てられている姿を想うと、酷く空虚な気持ちになる。
旧く硬い木製のベンチに沈み込んで、自分自身も雑踏の騒音に掻き消されて行く様に感じる。
そろそろ僕の乗る便が来る頃だろうか、それとももう発ってしまったろうか。
それさえもうどうでもよい事のように思う。





冷蔵庫の扉が開いたままになっている。
氷は溶け、かつてアイスクリームだったものが流れ出して来ている。
中に入っている物が腐臭を放っているが、家人は一向に気に留めない様で、平然としている。






冷蔵庫の扉を開け閉めする音で目が覚めた。
製氷室から氷を取り出している様だ。
どうしたのだろう、家人はまだ帰らない時間の筈だが、
と思いながらふらふらと起き上がってキッチンへ行く。
誰もおらず、家の中は静まりかえっている。


夢と現実の境が曖昧になってきている。


 











  


先週だったか、心電図や採血したものの分析結果を聞きに病院へ行った。
ホルター心電図からは狭心症心筋梗塞等の顕著な兆候は見られないが、
安静時に時々心拍が140を越える頻脈が日に数度あり、はっきりとした原因が判らない。
血圧も下がらないままなので、験しに脈を抑える薬を使ってみることに。
二週間服用してみて経過を見ることになった。
血液検査の方は、肝臓の数値があまりよくないとのこと。
多量に飲酒または長期に渡る服薬等の影響が考えられるとのことだが、
お酒はもう随分長い間絶っているし、服薬も連用していたのは随分昔のことなので、
未だに血液検査に影響が出るとは考え辛い。
もっと詳しく調べるのなら、病院を移って肝臓の組織検査になるようだけれど、どうも気が進まない。
考えられる要因を取り除くべく生活習慣等を改善し、症状が治まっていくかどうか試し、
どうしても良くならなければ次の段階に進んで検査を受けることにした。


処方された薬は今のところよく効いていて、時々暴れ出して煩かった心臓が嘘の様に静かになった。
治療薬ではなく、症状を抑える為だけのものだから、
薬が切れればたちまち元の状態になってしなうのだろうけれど、
外で蹲ってしまう様な事態にはならない、というだけで随分と気が楽だ。
まだ量の調整が難しくて、効き過ぎると酷く眠くなるし目眩が起こる。
活動時に丁度良い心拍を保つ、というのが如何に高度な身体機能かということがよく解る。









 


四月の中頃に大したことのない風邪を引いて、
大したこともないのに臥せっているのは癪だと思いながら、
それでも早く治してしまいたくて大人しくしていた甲斐もあって、
風邪はすぐに良くなったのだけど、
久し振りに起き上がって近所のスーパーまで買い出しに行く途中で、
これまでに経験したことのないような脚の重さや動悸、息切れに襲われ、
家に着いてから暫く倒れ込んでしまった。
動くのがまだ早過ぎたのかしらと思って、ゴールデンウィークの間も
大人しく養生していたのだけれど、体調は一向に良くならない。
そればかりか、大して身体を動かしてもいないのに
時々激しい動悸や息切れが起こるようになってしまった。
どうにも手に負えないので、兄が以前にお世話になった心臓専門の医院で検査を受けることにした。

普段余程の事がない限り病院に寄りつきもしないので、
これまで血圧を測ったことも数えるほどしかなく、
最高血圧146 最低血圧100 心拍110 の結果に驚く。
安静時でこれだから、動いて息が上がるのは至極当然かも知れない。
病院でホルター心電図を取る為の計器を装着してもらって家に帰り、24時間分のデータを提出した。
分析結果が出るまでに一週間掛かるとのことで、今はその結果を待っているのだけれど、
兄が以前に心臓発作で倒れた時と症状がよく似ている為に、母が酷く心配をする。
詳しい話はしていないし、話半分に簡単な説明をして、
顔を合わせればすっかり平気そうにしてはいるのだけれど、
体調の事で母親を騙す、というのは、
嘘の中でも最も高等な技術が必要とされる部類なのかも知れない。
あまり巧く騙せてはいない様だ。

苦しい時にそれを顔に出さないというのは、喘息の発作の時に
息が上がってしまっているのを人に悟られたくなくて、
随分と苦労して身に着けた技なので、少しばかり自信があったのだけれど。


体調の悪化に反して気持ちの方はどんどん凪いで行き、
自分の激しい脈動を煩く感じることはあっても、
話に聞く様な、切迫した恐怖感や焦りという様な気持ちは全く湧いてこない。
具合が悪いと言って家で臥せっていられるのだから、
随分幸せな方だと思うし、合間合間で家族と何でもない話をしたり、
映画を観たりしてのんびりと検査結果を待つ。


もし心臓に何か異常があるのであれば、自分としては少し意外な感じがする。
毛が生えているどころか棘が生えているのではないかとさえ思っていたし、
毒々しい緑色で血管は紫色、腐臭を放っても脈動を止めない、といったイメージを持っていたので、
自分の心臓も人並みに労ってやらねばならないのなら、
これまでとは少し考えを改めねばならない。


毎日欠かさなかった珈琲が飲めないのが少し残念。
煙草も勿論吸えなくなったが、そちらの方は不思議と気にならない。
どんな結果になるにせよ、もう何事もなくこれまで通り、という訳には行かないのだろう。














 



 

陶芸作家の北村公正氏にお願いして造って頂いたチィさんが届いた。



氏の作品を初めて観たのはクリエイターズマーケットで、
細部まで観察して緻密に作り込まれた亀や蛙や魚などの小さな生き物を観て、
小手先の器用さだけではとても造れない生き生きとした造形に感嘆した。
次の年も同じ会場で作品をお見掛けして、
思い切ってチィさんの制作依頼をしたのだけれど、
随分と無理を言って沢山の写真を見て貰い、四ヶ月ほどで造って頂けた。
待った分喜びも一入で、届いた作品を矯めつ眇めつして、
もう毎日持ち歩きたいくらいに気に入ってしまった。
お会いした際に制作に関する事等を煩くお訊きして、
それに言葉少なに語って下さる御様子からも、
その繊細な作品からも、本当に自然が好きで、生き物が好きで、
何より造る事が好きなのだというのが伝わって来る。
手先の小器用な人は世の中に沢山居るけれど、
それは本当に生き生きとした物を指先から生み出せる才能とは全く異なるもので、
北村氏は間違いなく、造形物に魂を吹き込む才をお持ちの作家である、と感じる。




きたむら工房
http://www4.ocn.ne.jp/~kitamaru/
きたむら工房ブログ
http://blog.goo.ne.jp/kitamaru36








 


一年前と同じ、穏やかな陽気。
去年の今日はチィさんの骨壺を抱えたまま、近所の寿司屋で昼食を摂った。
真っ直ぐ家へ向かうのがどうにも寂しく、帰ってしまったら、
食事の支度などする気分にはとてもなれそうもなかった。
隣の椅子にチィさんの骨壺を置いて、
どれにする?とメニューを取り、妻と二人、黙々と食べた。
二人とも自分を保つのに精一杯で、寿司の味など少しも判らなかった。


今年も同じ店で食事をしようか、と話していたところへ、
ニチコさんから昼食のお誘いがあった。
行きたい店があるのでそこで良ければ、と話して、
待ち合わせをして三人で食事をした。
妻の実家で起こった鼠騒動の話をしたら、鼠が大の苦手なニチコさんが、
「鼠」という言葉を聞いただけで椅子から飛び上がって驚いて、
その様子が可笑しくて、口に放り込んだ寿司を危うく撒き散らすところだった。
驚いた本人も可笑しかったらしくて、顔を真っ赤にして笑い転げている。
それを見て妻も、随分と笑った。
一年前には呆然と前を見据えたまま、
何を口に入れているのかも判らなかった寿司が、旨かった。


毎日のようにチィさんのことを想う。
一年経った今も、妻との会話の中にはごく当たり前にチィさんの話が出る。
それは「偲ぶ」というのでも、「追想」というものとも違う。
あまりにも自然で、私たちの暮らしから切り離せない。
それは別な形での「生」だ。
そう思う様になった。


チィさんが居なくなって、否応なく「死」について考えさせられた。
漠然とした概念でしかなかった「死」が、
とうとう私たちからチィさんを奪い去ってしまった。
そう思っていた。
だけど一年が過ぎてなお、チィさんの居場所は少しも変わらずここにあり、
生きていた時と変わらず二人の間に笑いをもたらし、
穏やかな時間を与えてくれている。
「ここに、今も生きている。」と胸を指せば、
それはあまりにも陳腐で安っぽくなってしまうかも知れないけれど、
今までの捻くれた僕なら鼻で笑ってしまいそうな台詞だけれど、
だって本当なんだから仕方がないのだ。




あの時、本当に沢山の人たちがチィさんの名を呼んでくれた。
さようなら、おやすみ、お疲れ様、ありがとう。
様々な言葉で労ってくれた。
嬉しくて、ありがたくて、何度も何度も読み返した。
あの時の僕と同じように、今まさに別れを経験しようとしている人たちに、
いつも、何か声を掛けたい、自分がそうしてもらったように励ましたい
と思いながら、どう声を掛けてよいのか、何を言ったらいいのか、
考えあぐねてしまって言葉に詰まる。
この一年掛けて辿り着いた想いを、どう伝えたらいいのか解らない。
もう触れられないのに違いはないし、
それが寂しくないと言ったら嘘になるけれど、
それだけじゃないよ、きっと色々な形で、縁は続いてゆくよ、
そう巧く伝えられたら、少しは慰めになるだろうか。
いや、やっぱり言葉だけでは充分ではないのかな。
時間を掛けて、だって本当なんだもん、と言えるその日まで、
何の意味も為さないかも知れないけれど、
僕もまだよく理解出来てはいないけれど、
多分、「死」は全てを奪い去ったりはしない。
きっと、残るものはある筈だから、
だから。








あの時チィさんの名を呼んでくれた全ての人に、
心から ありがとう。