四度目の受診。
処方された薬がよく効いて、心拍は落ち着いている。
息切れは相変わらず。
超音波検査というものを初めて受けた。
ホルター心電図に表れた様な、日に数度の頻脈の原因は特定出来なかったが、
超音波検査の結果からも心臓に重篤な障害の兆候は見られないとの事。
心因性という事も考えられるが、思い当たる節が何もないのなら、
他の臓器の検査を受け直す必要がある。


ベータブロッカーと呼ばれる薬で心拍を抑えているので、
外で動悸が治まらなくて冷や汗をかく様な事は殆どなくなった。
負荷を掛けた時の、これまで感じたことのないような倦怠感や息切れが
この薬の副作用と重なる為、別な薬を一週間ほど試用して
症状の軽減が見られるかどうか経過を見る事になった。
心臓専門の医者なので、「心臓はまあ今のところほぼ正常です。
何処か他の部位に何か問題があるとしても、(この不調の原因は)心臓が原因ではない。」
という言い方が、如何にも専門分野に特化したエキスパートらしく可笑しくて、
検査を受けながら危うく笑い出しそうになるのを必死に堪えた。


重箱の隅を突く様にして探し廻れば、何処かにはこの不調の原因が見付かるだろうが、
そうやって自分の身体の不調の原因を詳しく特定して知っておきたいという気持ちは、
正直なところあまり湧いてこない。
そうして必死に健康を追い求める自分の姿が、どうにも不健康に思えてしまうから。
とは言えこのままにもしておけぬので、検査は続けなければならないが…。




この頃、「曖昧」、という事についてよく考える。
あまり良い意味で使われない言葉かも知れないが、
曖昧さのない世界を想像してみると、僕にはそこが居心地の良い世界とはどうしても思えない。
勿論はっきりさせておかなければならない事が数多くあるのも解ってはいるけれど。

性別、年齢、人種、人と動物の権利、勝者と敗者、
生きているものと死んでいるものの境、昼と夜、正常と異常、夢と現。
考えてみれば、その境にある者達に、ずっと惹かれてきた様に思う。
何故なのか自分でもよく解らないけれど、
極めて狭量で、物事の受け入れられる範囲が極端に狭い人間であることへの裏返しなのかも知れない。
僕はすぐに敵か味方かを分けたがる傾向があるし、
曖昧を許さず他者を追い詰めてしまう様なところがある。
自分のそういう部分にそろそろ嫌気がさしているのかも知れない。


時々、曖昧を許して互いが混じり合えば、けっこう穏やかな場が出来上がって
色々なことが巧く収まりはしないか等と夢想する。
夢想している間に段々と眠くなってきて、色々な分別が曖昧に混じり合って
猫の毛玉みたいにふわふわと漂い出す。
それは悪夢なのか、いつまでも浸っていたい様な居心地の好い夢なのか、
その境さえも曖昧になってゆく。