母が退院して数ヶ月が過ぎた。
とは言っても寛解まで漕ぎ着けたという訳ではなく、
薬物治療の副作用が強く出て、続けて行くことが難しくなったからだが、
それでも一時は会話も困難なほどに弱っていたのが、
何とか自宅に戻る事が出来、母の希望通り元の暮らしに近い状態で
穏やかな時間を過ごせていることを、心から嬉しく思う。
このまま穏やかに、出来るだけゆっくりと時が過ぎて行ってくれたら、
そう思っていた矢先、今度は自分の体調がおかしくなり始めた。
観念して病院へ行き、MRIの検査を受ける。
初めてのMRIを、少し面白がるような気持ちで受け、
使った耳栓を貰ってもいいかと訊ね、ポケットに入れて診察室に戻ると、
もう検査結果がモニターに表示されていて、医師が難しい顔をして僕を待っていた。


「脅すようで悪いけれど、」と前置きして、
脳動静脈奇形が脳のかなり深い部分にあることを告げられた。
「家族はありますか」と訊ねられ、必要なら設備の在る病院への紹介状を出すから、
と、入院しての精査を薦められる。
「御家族でよく御相談なさって決めて下さい」と言われて病院を出た。
もう三年ほど悩まされている様々な症状の原因らしきものが見付かり、
腑に落ちたような、妙に落ち着いた気持ちで医師の話を聞いた。
激しい耳鳴りも、目眩も、不安定な脈拍や血圧も、どうやら全てこれが原因らしい。
場所と大きさからして、精査した場合にも、今のところ大きな症状が出ていないのなら
経過観察ということになるだろう、という話だった。
今出ている症状と、選択した治療に伴うリスクを天秤に掛けて判断することになるのだろう。
今のところ、治療に伴うリスクの方がずっと大きいような気がして、
それに何だかこの期に及んで然程驚きもしない自分にも拍子抜けしてしまって、
まあ、もう少しのんびりしよう、その結果として色々起こるのだとしても、
今は何だか深刻に考え込むよりも、穏やかな気持で過ごしたい。
母が日常に戻り、子がどんどん大きくなって日々新しい体験がある今を、
何時の間にか頭の中に巣食ったよく解らないものの為に煩わされたくない。
妻ともよく話し合って、今のところそんな感じに落ち着いている。
事の深刻さを理解していない訳では決してないが、
必要以上に深刻になったり、畏れたりもしていない。


頭の中に爆弾が見付かりました。
何時爆発するか、しないかも解りません。
頭蓋を切り開いて摘出すれば、今悩まされている症状は治るでしょう。
脳出血のリスクも軽減します。
でも歩けなくなったり、耳が聴こえなくなったり、
目が見えなくなるかも知れません。
痴呆に似た症状が出たり、死んでしまう事もないとは言い切れません。


物凄く大雑把に言ってそのような状況なので、簡単には判断し辛い。
将来的には手術の選択肢は推奨されなくなって行くだろうという記事もあれば、
手術を受けてすっかり治った、という人もいる。
別な選択肢であるガンマナイフは比較的新しい治療法で、
長期的なデータが不足していると考える人もいる。
強い放射線を患部に照射する為、ごく稀に脳壊死等の副作用が起こることがあり、
またそうした恐ろしい副作用が起こるのはかなりな年月を経てから、という説もある。


病を得る事、衰えて行く事、死に向かって行く事。
このところの僕には、そのどれもがごく自然な事に思える。
「誰でもトイレに行くのと同じで、誰でも死ぬ。
トイレと違うのは席を立ったら戻って来ない事、
一度切りで済む事だけだよ、必要以上に怖がったり、
悲しんだりしなくてもいいんだよ。」
何時か子供たちにそう言ってやってくれ、と、よく妻に冗談を言った。
しかしそれは僕の本当の気持ちだし、もし僕の身に何か起きたとしても、
あまり嘆いたり、動揺したり、怒ったりしないで欲しい、
という話を、意識して常日頃からしてきた。
僕は妻よりも随分と年嵩だし、順当に行けばかなりお先に逝く事になる。
だから、何処でどんな風にその時を迎えるのだとしても、
僕は心から満足していて、君に感謝している。
そうなった時、決して憤ったり、我が身を哀れんだりしてはいない、
そう思っていて欲しいと伝えて来たし、
だから今度の話も、あまり動揺せず、落ち着いて聞いて貰えたように思う。


今は病そのものよりも、治療することで起こるリスクの方への不安を強く感じる。
臆病だからかも知れないし、そうではないのかも知れない。
唯、漠然と、どうしたら自分らしく在れるかを考えている。


こんな事を書いても、何年も何も起こらないかも知れないし、
色々な症状に耐え切れずに病院へ駆け込んで、
すぐに頭蓋を切り開いてくれと懇願するようになるかも知れないし、
先の事はさっぱり解らない。
だからこそ今を愉しまなくては、という気持ちが強くなる。
随分身勝手で我儘だと思い、申し訳なくなるけれど。