重責

引篭ってずっと猫を彫っている。
日が暮れたら玄翁をゴムハンマーに持ち替え、
音を立てずに彫り続ける。
迷いながらの作業は遅々として進まず、
焦燥感ばかりが募るが、最後には何とかなる筈、
と信じて作業を続ける他にない。


長い毛に覆い隠された身体をどう表現すれば良いのかという
技術的、表面的な事に難渋しているのは勿論だが、
いかに心血を注ぎ込もうと、
ある人にとって、かけがえの無い対象を形作る、
という事に対しての不安は拭い去り難い。
どんなに真摯に向かい合ってみても、ズレが生じる事はあるからだ。


随分昔に、もうすでに亡くなってしまった方の胸像を手掛けた事がある。
資料は僅かなモノクロ写真のみ。
写っていない部分は想像で補う他なかった。
苦心の末に何とかそれらしい姿に仕上げたつもりではあったが、
その方の奥さんは
「立派な胸像だけれど、うちの人にはあまり似ていない」
と寂しそうに呟いた。


手渡された写真は、色褪せて
顔の細かな造形など殆ど解らない様なものだったが、
着物を着てうっすらと笑みを浮かべた男性の
ふんわりした暖かさの様なものは、
確かに僕の作った胸像の中にはなかった様に思う。


あの時僕にもっと腕があれば、
あの御婦人に寂しい思いをさせずに済んだろうか。
あの寂しそうな顔を、今も時々思い出す。


人の「想い」を形作る事は、どんな場合にも必ず
その想いに見合っただけの重責が伴う。