手足が冷えてよく眠れないので、
熱い風呂に入って暖まる事にした。
何日もシャワーを浴びないでいると気が滅入る。
ゆっくり風呂にでも浸かれば
きっと気分も良くなるだろう。


入ってみると湯がぬるい。
追い焚きのスイッチを押したが、
すぐ設定温度に達してオフになってしまう。
いつもなら一度押しただけで充分過ぎるほど熱くなる筈なのに、
湯はあまり熱くならなかった。
設定温度はかなり高くしてあるのにおかしいな
と思いながら、何度も追い焚きのスイッチを押す。


暫くして、風邪で体温が高くなっているから
体感温度が通常よりも低く感じているのだという事に気がついた。
実際には、しつこく追い焚きを繰り返した浴槽の中は
いつもだったらとても平然とは浸かっていられない水温に達しているに違いない。 
人体の神秘。


時折思い出した様に首筋に悪寒が這い上がって来る。
肩まで湯に浸かって暖まりたいのだが、背中を丸めて
足を折り曲げ、かなり不自然な体勢をとらなければ、
ユニットバスの狭く浅いバスタブではそれが叶わない。
そうやって小さくなってじっとしていると、少し哀しい。
昔はそんな事 気にもならなかった。
熱いシャワーさえ浴びられれば、それで文句は何もなかった。
友人が、部屋を選ぶ時は「まず風呂から見て決める」
と言っていたのを思い出す。 その頃はまだ
自分は風呂への拘りは何もない、と思っていた。


歳を経るとある部分への拘りはより贅沢なものになり、
ある部分に関しての拘りはどんどん無頓着になって行く様だ。
量は少しでいいから旨いものを食いたい。
着心地の良いシャツに袖を通したい。
ゆったりと足を伸ばして風呂に浸かりたい。
人付き合いに関してもそうだ。
新しい出会いにはほんの少し臆病になり、
心地良い距離感を以前よりもずっと慎重に量る様になった。
一方で無頓着になり、鈍くなって行く部分があるのも感じる。
鋭敏に保っておきたい感覚が磨耗して行くのには非常な焦りを憶える。
何とかしようと足掻こうにも、どうしたらよいのか見当もつかない。


のぼせた頭でそんな事をぼんやりと考えながら
ベッドに腰掛け、ドライヤーで髪を乾かしていたら、
チィさんがとことこやって来て隣に座った。
背中にドライヤーの温風が当っても振り向きもせず、平然としている。
一緒に暮らし始めた頃はこの音にとても怯え、
押し入れに篭城したりしていたのに。
お互いに歳をとって、良くも悪くも色々な事が変った。
それでも世の中はまだまだ知らない事ばかりで、
日々新しい事に出会い、新しい楽しみを知り、色々な体験をする。
大嫌いだったドライヤーの温風を平然と受けとめて、
気持ち良さそうに目を細めているチィさんを見ながら、
まだまだこの先、面白い事がいくらでもありそうだ。 そう思った。


この先も楽しむ為に、臆病になり過ぎず、
拘り過ぎず、さりとて拘りを捨てず。
そうありたい。




熱い風呂に長く浸かり過ぎると、膝が笑う。
これも初体験。