コインロッカー


僅かな荷物さえ、持っているのが邪魔な時がある。
途中で買い物をしたコンビニの袋に
ポケットを膨らませていた僅かな荷物を移し入れた。
袋は重くもなく、大した大きさでもない。
手に提げればぶらぶらと心許なく垂れ下がり、
かと言って掌に収まるほどに小さくはならない。
その中途半端な量が、余計に邪魔に感じさせる。


何棟も同じ形の建物が立ち並ぶ巨大な団地の入り口に
ぽつんとコインロッカーが設置されている。
荷物はここへ置いて行こう。帰りに取りにくればいい。
名案だと思った。荷物を預け、清々した気持ちで歩き出す。


暫く歩いてから、立ち止まって考えた。
帰りはきっと遅くなる。
暗くなってから人気のない団地の入り口をうろうろするのは気が進まない。
第一面倒じゃないか。あんな僅かな荷物、手に持ってさえいれば済む事なのに。
ポケットからロッカーの鍵を取り出して、今来た道を足早に戻った。


ほんの少し歩いただけの筈なのに、さっきのコインロッカーが見当たらない。
最初は気の所為だと思った。数分でコインロッカーが消える筈がない。
しかしいくら探してみても、コインロッカーは見付からなかった。
同じ形の建物が並んでいるから、もしかしたら道を間違えたのかも知れない。
そう思って、コインロッカーを探しながら団地の奥へ入って行った。
誰かに訊ねてみようと思うのだが、誰ともすれ違わない。
こんなに大きな団地なのに、どうして誰も歩いてないんだろう。


注意深く辺りを見回すと、草は伸び放題で、団地の中は薄暗く、
廊下にはじゃりじゃりとした砂埃が積もっていて、何年も人が歩いた形跡がない。
何かの事情でこの棟は使われていないのだろうか。
遠くの木の下で白い人影が揺れたのを見た気がした。
しかしそこへ行ってみると、誰も居ない。
風が吹き抜けて、急に寒さが増した様に思う。


近くの公園から草野球の音がした。
バットが球を打つ乾いた音。
歓声。
人気のある場所へ行きたかった。
死んでしまった様なこの団地から、今は早く離れたい。
公園へ向かった。
歓声の聴こえた方へ。


グラウンドにはただ、強い風が吹き抜けている。
砂が舞い上がり、たった今までそこに居た者たちを
一瞬で連れ去ってしまったかの様だった。


途方に暮れて、おろおろと来た道を戻る。
辺りは暗くなり始めている。
通りで車の音がすればそちらへ走り、
自転車のブレーキが軋む音が聴こえたらすぐにそちらへ向かった。
人の気配がする度に必死に探し回ったが、誰にも会えない。


コインロッカーのあった場所に立ち尽くし、周りの景色を眺めた。
こんなに寂しい風景だったろうか。
整備された大きな団地の、ありふれた光景ではなかったか。


コインロッカーなど最初からなかったのかも知れない。
“お前は荷物など持っていなかった” 耳元で囁く声がする。
そうなのかな?
僕は何も預けていない。
僕は最初から何も持っていなかった。
“いや、お前は大切なものを手放した
 手放したものはもう戻って来ない” 別な声が囁く。


掌には古びた鍵が確かにある。
僕は何かを持っていた。
僕はそれをあのコインロッカーに預けた。
何を持っていたのかはさっぱり思い出せないけれど。
それは手放してはいけないものだったのかも知れないし、
捨ててしまってもいい様な、どうでもいいものだったかも知れない。


もう一度あのコインロッカーを探してみよう。
何かに猛烈に腹が立った。どうしても探し出してやる。
意地になっていた。
すっかり暗くなった団地の入り口に立って、
一つも灯りの燈されない沢山の窓を見上げた。
僅かにカーテンが揺れる。
遠くの木陰で何かが蠢いている。
暗闇から何かが、息を殺してこちらの様子をじっと窺っている。