気をつけよう

気持ちがささくれ立っていた。
こんなに気持ちの良いお天気なのに。
そう思うと天気の良さまで不愉快だ。
多分どうでもいい様な瑣末な事。
気に留めなければ良いだけなのに、
どういう訳だか気にしてしまった。


日比谷で乗り越しの不足分を精算し
足早に改札を出る。
苛々すると歩くのが早くなる。
苛々するとミュージック・プレイヤーの音量を上げる。


大きな音で曲を聴きながら苛々と足早に歩いた。
改札を出てどんどん歩いた。
後ろから腕を軽く掴まれて、
きっと少し驚いた所為もあって
僕はとても恐い顔で振り向いた事だろう。
息を切らせた見知らぬ女性が立っていた。
差し出された手には十円玉が乗っている。


苛々し過ぎてつり銭を取り忘れていた。
改札からずっと追って来てくれたのだ。
きっと何度も呼んでくれただろう。
なのに僕はまったく気付かない。
きっと小走りにならなければ追い付けなかったに違いない。
やっと追いついて腕に触れた。


そして恐い顔で睨まれた。


申し訳なくて、急いでぎこちなく笑顔を作り
少し大きな声でお礼とお詫びを言ったけれど、
あんなに睨み付けた後じゃ取り繕い様もない。
申し訳なくて、瑣末な出来事は何処かへ吹き飛んでしまった。


親切や善意に笑顔が返せないのは
どうにも見苦しくてやり切れない。


振り向いた時の女性のあの怯えた顔。
ああ もう。


気をつけよう。本当に気をつけよう。