お客さんがビーツを持って来てくれたので、
一応ボルシチの体をなし、
肉も良い具合に柔かく煮込まれて、
概ね好評の様だった。
美味しいと言ってもらえると、やはり嬉しい。


ボルシチはまだ実家に居た頃、
食卓によく並ぶ料理だった。
何故母がこの料理を頻繁に作るようになったのか解らないが、
父がシベリアに抑留されていた事と関係があったのではないかと思う。


父が抑留され、強制労働に従事させられていた頃の話は
ほんの僅かしか聞いていない。
幼心にも、あまり触れてはいけない事の様な気がしていたのかも知れない。


収容所での生活は厳しく、ボルシチとは名ばかりの
キャベツの切れ端が少々浮かぶだけのスープが、
凍えた身体を暖め、明日への命を繋ぐ糧だった。
当時はロシア兵たちにもまともな食事は支給されていなかったらしいから、
捕虜に与えられる食事はきっと本当に酷いものだっただろう。
絶えず餓えと、寒さと、死の恐怖に苛まれる日々の中、
それでもこのお粗末な一杯のスープの温もりと、
ひとかけらの黒パンの味を、
何十年経っても父は忘れていなかった。


味覚、嗅覚から鮮明に呼び起される当時の記憶は
忌まわしいものに違いないだろうに、
この料理を食べる時の父は、
確かに当時の記憶を辿っているのに
何処か懐かしむ様な、不思議な様子を見せた。




この料理を食べる時、
僕はいつもその父の顔を思い出す。