麦酒


今日はどうも料理をする気分じゃない。
米を磨ぐのも面倒だ。


急に麦酒が飲みたくなった。
どうしても、飲みたい。
ちびりちびりとじゃなく、
キンキンに冷えたのを、一気に飲み干したい。
それで夕飯は、カップ麺と缶ビールにした。
グラスを濡らして冷凍庫に入れ、湯を沸かしてカップ麺に注ぐ。


最後にビールがぬるくなる前に飲み干したのは、
もう何年前になるだろう。
あまりに古い話で思い出す事さえ難しい。
冷えたビールを一気に飲み干してのどごしで味わう、
というのを、それくらい長い間我慢して来た。
元々嫌いで飲まなくなった訳じゃない。
学生時代に不摂生をして喘息を患ってから、
どういう訳だかアルコールに過剰反応が出る様になってしまった。
一番酷かった時期には、それと知らずに食べたケーキに
ごく僅かにアルコールが使われていただけで
呼吸困難になってチアノーゼが出た。
薬が効いて来るのを待つ間、何度も意識が遠くなる。
夢か現か、色々なものを見た。


僕にとってお酒は文字通り、毒に変わった。
合法的かつ手軽に手に入る劇毒物。
おまけに事ある毎に人から勧められる。
それも断り難い席で。
元々酒に強い訳でなし、毎日浴びる様に飲む訳でもなし、
ほんの僅かな量を楽しむ程度の事が出来ない、というのが癪に障った。
気管支拡張剤を使いながら飲み続けたのが、症状を更に悪化させた。
アルコールにアレルギー反応を起こす様になったのも、
もしかしたらこの頃に薬をお酒で流し込んだりしていたのが
良くなかったのかも知れない。


だから本当に何年か振りに、ビールを飲もう、と思った。
もう何年も発作を起こしていないし、
僅かだがまだ気管支拡張剤も手許にある。
この一缶を一気に飲み干せたら、
少しくらいまた苦しい思いをしてもいい。
今がそのタイミングな気がして、どうしてもそうしたくなった。


グラスに注いで躊躇せずに飲み干す。
沁み渡る様に旨い。
注いでもらったビールを少しずつ飲むのは、本当に不味かった。
ぬるいビールは大嫌いだ。
反応が出るならすぐに息が出来なくなるだろう。
急いで残りを注ぎ、また一気に飲み干す。
缶を握り潰して待った。


ほんの少し、息苦しさを感じただけだった。
解禁、という事だろうか。
嬉しくなって、今度はカクテルを試す事にした。
ピンクグレープフルーツジュースとボンベイサファイヤ、
コアントローを氷と一緒にシェイカーに入れ、
思い切りシェイクしてグラスに注ぎ、これも一気に飲み干す。


これは効いた。
少々濃過ぎた。
お酒にジュースを入れるのではなく、
ジュースにお酒を入れる、が正しい。
元々お酒に弱いのを忘れていた。
足許がふわふわと怪しくなる。
ほんの少しだけ呼吸し辛い。
考えが散らばって、纏まらない。


ああ、この感じ、何かに似てる、と考えて、可笑しくなった。
呼吸困難になって、意識が遠のいて行く感じにそっくりだったのだ。
脳が酸素不足になると、悪酔いした時にそっくりな状態になる。
なんだ、飲めなかった間も何度も味わって来てたじゃないか。
お酒は取り上げられたけど、似た様なものだったんだ。
後で気分が悪くなって吐き気を催すのもそっくりだ。


兎も角、調子さえ良ければ缶ビール一本くらいまでなら大丈夫、
と証明出来た。賭けに勝った様で、非常に満足。