幽霊

僕は長い間、幽霊だった。
これまで、ごく親しい友人にさえ
その事について詳しく話した事はない。




日本の多くの仏師や彫刻家がそうであった様に、
僕が居た場所でも、弟子達は師匠の仕事を手伝いながら
技術を習得して行く。
新しく入った者がすぐに収入に繋がる仕事を任される訳ではなく、
嘗て僕がそうであった様に、一日中一本の鑿と格闘し続けたり、
ただ兄弟子の横に座って仕事の様子を見続ける。
仕事に入るまでには長い長い時間が掛かる。
そうした者にも勿論住む場所や、日々の糧が必要だ。


務めて何年かすると、何時の間にか工房は大所帯に膨らみ、
それを支えて行くには、彫っても彫っても、まだ足りなかった。
毎日くたくたになるまで師匠の作品を彫る。
覚えなければならない事はあまりにも多く、
その殆どが一朝一夕には身に付かない。
いつしかそれだけに追われて、自分の作品を作らなくなって行った。


教わった技術、教わった物の見方、考え方。
師匠の目で見、考え、彫る。
自分を殺し、鑿や玄翁や鉋と同じ様な、
師匠の「道具」になり切ろうとする。
「造る事」を志す人間にとってそれがどれだけ残酷な事か、
誰よりもよく知っていた師匠は、けして強制する事はなかったが、
そうやって師匠のゴーストになり切る事が、
出来上がった作品を贋作にしない為の、唯一無二の方法だった。


この仕事に携わっていない人に話したら、驚かれるかも知れない。
しかし二本の腕しか持たない人間には、
それほど多くの作品を彫る事は出来ない。
古い仏師達の中に、今も作品が数多く残っている人があるのは、
優秀な「道具」を数多く抱えていたから、というケースもあり、
道具のまま、幽霊のまま一生を終える人たちも
けして少なくなかったのではないかと思う。
鳴かず飛ばず、名を消し存在を消し。
幽霊で居るのも、慣れてしまえばそう悪いものではない。




幽霊である事を辞めてから、随分と長い時間が過ぎた。
幽霊であり続けた時間を悔やむ気持ちは少しもない。
あれは必要な時間だった。


今漸く、その事を口に出来る気がする。