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週に一度、チィさんを病院へ連れて行く。
外気に触れさせる時間を出来る限り減らす為に通院には車を使うしかなく、
車を持たないので人に頼るかタクシーを呼ぶしかない。
今のところ週末に次兄が協力してくれて、何とか無事通院を続けている。
もうかなり医療費の圧迫が苦しくなって来ているから、
タクシー代を節約出来るのはとてもありがたい。
注射による投薬を止めてしまえば、
あっという間に状況が悪化するのは目に見えているので、
何としても通院を続けねばならない。


チィさんは穏やかに寝息を立てている時もあれば、
少し辛そうに見える時もある。
まだ時折絨毯で元気に爪を研ぐし、
いつものチィさんらしい様子で歩き回ったりもする。
そうした様子を見ていると、ひょっとして快方に向かっているのでは、
とつい期待してしまいそうになる。
しかし医師によると、薬で症状を抑えてはいるが、
それは快方に向かっているという事ではない、とのこと。
今から腎臓の機能が回復するという事は望めないそうだ。
医師が時折戒める様に状況の厳しさを口にするのは、
僕が過剰に期待してしまう事を懸念しての配慮だろう。


もう固形物は殆ど口にしない。
一日に三度の流動食と二度の投薬、
猫用のポカリスエットを100ミリ以上飲ませる。
チィさんにとっては辛い事ばかりで、
病院では「介抱する側が辛いと思えばされる方も辛い、楽しめ」
と言われるが、とてもそういう心境には到達出来ない。
しかし一日のうちにほんの数分でも気分の良さそうな時があれば、
それを支えに今の体勢を維持して行く他はない、と思う。


口に合わない流動食を飲まされるのを嫌って
必死に僕の手を押し退けようとするので、左手首が傷だらけになった。
それは少しもかまわない。
咬まれようと引っ掻かれようと、そんな事は何でもない。
だけどチィさんは故意に咬んだり、爪を出して引っ掻こうとはしない。
我慢強く耐えている。
耐えている様子を見ることの方が、咬まれたりするのよりもずっと辛い。
咬めばいいのに、思い切り引っ掻いていいのに、と思う。


一度だけ、僕が投薬に手こずった時、
前脚を抑えるのを手伝ってくれていた妻の指を咬んだ。
人間用の大きなカプセルだったから、余程飲み込むのが苦しかったのだろう。
それでも思い切り歯を立てたのではない。
妻は泣いた。
咬まれた指が痛んだからではない。
初めて会った時からチィさんに妙に気に入られて、
まるで昔馴染みの様に傍で寛いだ様子を見せ、
これまで一度だって牙や爪を出して見せた事など無かったのだから。
それからは、医師の薦めもあって、
投薬や流動食、通院等の嫌われ役は僕が受け持ち、
妻は御機嫌伺いに専念してもらう事にして役割分担をした。
チィさんにも家の中で逃げ場を確保しておく必要がある。



昨日は診療中に少し吃驚する出来事があった。
随分前に右上の牙が抜け落ちて、
残った下の牙が上口を傷つけてしまうようになったので、
その事を病院で相談したら、医師が助手に前脚を抑えている様指示して、
傷に軟膏でも塗ってくれるのかしら と見ていたら、
小さなニッパーの様な器具を取り出して、
あっという間に残っていた下の牙を折ってしまった。
診療室には「パチーン!」という硬く大きな音が鳴り響いて、
チィさんも僕も驚いて暫し呆然としてしまった。
その時は 何か一言説明してからやってくれよ、と思ったが、
その後のチィさんの様子を見ていると、
あれで適切な処置だったのだろうと思う。
老齢で麻酔は使えないから、
ぎりぎり神経の通っていない場所で牙を折り取るしか上口を守る方法はなく、
処置は、された側がこれから何をされるのか理解する前に
素早く行う必要があった。
実際チィさんは何をされたのかよく解らないうちに
もう処置が済んでしまっていたから、
驚きはしたものの、その後の様子はまあまあ良好で、
帰宅後に「何か!何かされたーー!」と叫んでキャリーバッグから飛び出し、
火燵に潜り込んで暫く僕に非難の目を向けていたけれど、
すぐに忘れて眠ってしまった。
起きて来たらすっかり御機嫌も元通りで、いつものチィさんに戻っている。
この立ち直りの早さに、随分救われている。
処置は迅速に、出来得る限り素早く。
猫には特に重要な事だと、このところ痛感させられている。