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初めて煙草を手にしたのは、まだ小学校に通っていた時分で、
近所にあった駄菓子屋の、煎餅なんかが入れられている硝子ケースの上に
無造作に放り出された赤い箱から何本かをくすね盗って、
薄暗くなった公園の土管の中にしゃがみ込んで火を点け、
ゆっくりと煙が立ち昇るのを眺めながら、
その、僕にとって特別な意味を持つ戦利品に
静かな興奮を覚えていた。
それはCHERRYという名の煙草で、その駄菓子屋の女主人の持ち物だった。


彼女は子供を客とする商売を営みながら、
子供の事が大嫌いで、憎んでさえいる様に見えた。
近所の子供たちから魔女の様に恐れられていた彼女は、
いつも店先で腕組みをして煙草を燻らせながら、
店にやって来る子供たちを煙の向こうから忌々しげに睨み付けていた。


当たり籤付きの菓子に当っても景品が手渡されない事などざらで、
事ある毎に意地悪をされるのに、それでも子供たちは
学校が終わると決まってその薄暗い店内へと吸い込まれて行く。
そこはまさしく魔女の館だった。
店の中はいつも薄暗く、コンクリの土間はひんやりとして、
子供たちはそれまでわいわい騒いでいても、店に一歩踏み込んだ途端、
皆黙りこくって魔女とは目を合わせようとはせず、
菓子を選ぶ事だけに集中した。
魔女はそんな子供たちから一瞬たりとも目を離さず、
物凄い形相で睨み付ける。
節くれ立った皺くちゃの指先で赤い箱から煙草を取り出し
火を点ける間も、眼は子供たち一人一人の顔を行ったり来たり、
一分の隙もない。


僕は他の子たちの様には彼女を恐れなかったが、
彼女が僕を嫌うのと同じくらい、僕も彼女の事が嫌いだった。
彼女は何故か他の子にする様には僕に悪態をつかなかったが、
油断のならない奴め、とでも言う様に、
他の子よりもいっそう用心深い眼で僕の事を睨み付けるのが常だった。
彼女との遣り取りはいつも無言の睨み合いに始まり、
その緊張感は僕が店を出るまで保たれた。


彼女は僕が店へ行くと、決まって急いで煙草に火を点ける。
煙草の煙が、自分を子供たちから守ってくれると、
そう信じているかの様に。
彼女にとって店へやって来る子供たちは、憎むべき敵なのだ。
本当は、恐れていたのは子供たちの方ではなく、彼女の方だったのかも知れない。




一度だけ、彼女が泣いているのを見た。
誰も居ない店の奥で、いつもの様に小さな木の円椅子に腰掛けて、
彼女は眼を真っ赤に泣き腫らして、洟を啜りながら泣いていた。


僕は黙って店を出て、もうそれ切り、二度とその店へ行かなかった。
彼女の煙草を盗んで、してやったりと思ったのが、とても恥ずかしかった。
彼女のたった一つのちっぽけな武器を取り上げて喜んでいた自分が許せなかった。


洟を垂らして泣いていた彼女は、魔女などではなかった。
小さな肩を震わせて泣いていた彼女の後姿を、僕は今も忘れない。