暗い車窓を眺めていると
何処までも何処までも
遠くへ遠くへ行ってみたくなる。


知らない道を歩いていてもそれは同じ事で
行きと同じ道筋を辿って元の場所へ戻る、
というのが、どうも僕には向いていない。


小さな頃からそうだった。
帰り道を歩いていると突然、
このまま元の場所に戻るのは
何だかつまらないような、損をしているような、
そんな淋しい気持ちになるのだ。


それで細い路地裏や、神社の中や、
入ってみた事のない道を見付けると、
ついふらふらと入り込んでしまう。
学校から帰るのはいつも暗くなってからだった。
家人に、どうしてこんなに遅くなるのか、
何処に寄り道して来たのか、と問われて
いつも僕は答えられない。
別段、何処かへ寄り道して来た、という意識はないからだ。


一度、通学路の途中に住んでいた親戚のおばさんが
学校から帰る僕を見掛けた事があった。
小さな身体に不釣合いな、大きなランドセルを背負って、
道の真中にしゃがみ込んでじっと何かしていたかと思うと
突然立ち上がって走り出し、神社の中に駆け込んで行った。
何事だろうと見ていると、次の瞬間には垣根の隙間から駆け出して来て、
家とは反対方向に走り去ったそうだ。


母はその話を聞いて、
どうして僕が暗くなってからしか帰らないのか、
どうしていつも泥だらけで擦り傷だらけなのか、
その訳を知った。


おばさんは、あれじゃあ家に着く迄に何時間掛かっても
不思議はない、と納得したそうだ。


数メートル進むのにも、兎に角真っ直ぐ歩いて来ない。
すぐ道端に何か見つけ、しゃがみ込んで遊び出す。
犬や猫や、時には蛇までも、追う。
真っ直ぐ前を向いてタッタと歩く、というのが
どうにもつまらない事に思えて仕方がないのだ。


それはきっと、癖の様なものなのだろう。
放浪癖、というやつなのかも知れない。




暗い車窓を眺めていると、
今でもその時の気分をはっきりと思い出す。
闇が手招きしている様に感じる。


そのままおいで
もっと遠くへ行ってみよう


そう誘われている様で、僕は屡帰るのが億劫になる。




それでも戻って来られるのは、
今の暮らしに繋ぎとめておいてくれる、
いくつかの大切なものがあるからだ。


たまに、本当にたまにだけれど、
暖かな身体を撫でながら、少しだけ思い出す事がある。
遠くへ遠くへと誘う甘い囁きや、魅惑的な手招きを。
誘いにのって、思いのまま何処までも行ってみたら、
その先にあるのは何だろう。






確かめられるのは、きっとずっと先の事になりそうだ。
小さな頭に手を置いて、そんな事を考えていた。