読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる


web上で見付けた戦争体験者の方の手記を読んだ。
想像を絶する体験の数々が記されていて、
思うところは色々とあるが、
僕にはそれを上手く言葉で言い表す事は出来ない。
戦後から今現在に至るまでの暮らしを
エッセイ風に書いたコンテンツもあって、
その中にその方の奥方が可愛がっておられた猫の話が出て来た。
ある日奥さんの具合が悪くなって病院で療養する事になるのだけれど、
その留守中に奥さんから「よく世話をしてやってくれ」と頼まれた猫に
些細な事から酷く折檻をして、猫はそれきり家に戻って来ない。
その事が何の自責も後悔もなく、少しも悪びれた様子もなく
只淡々と書かれていた。


それまでに読んだ文章から、
学識も深い分別も持ち合わせた方の様に見受けられたので、
一層のこと何ともやり切れない気持ちになった。


その日初めて母猫と仔猫たちを家に連れてきた雄猫の頭を
拳骨で酷く叩いたのだそうだ。
何度読み返してみても、どうしてそんな事をしたのかよく解らない。
猫には何の落ち度もなく、仔猫の食事が済むまで空腹を耐えて
じっと見守る姿は寧ろ健気ですらある。


皆が皆そうとは勿論思っていないが、
あの時代を生き延びた世代の方の中には、
時々こちらが虚を突かれて唖然としてしまう様な、
一種独特の感覚の麻痺の様なものを強く感じる事がある。
それはシベリアでの抑留経験を持つ僕の父の中にも時々垣間見える。
文字通り明日をも知れぬ厳しい暮らしを体験し、
生き延びる事の真実を身をもって知り尽くした世代の方から見れば、
その後の世代の甘さ頼りなさを嘆いたり叱責したくなる心情は解らなくもない。
しかしだからと言って、「たかが犬猫くらいの事で」云々といった考えには
矢張り僕は断じて同調する事が出来ない。

 この猫が私に殴られるのは珍しい事ではない。
階段の絨緞や床柱で爪を研いでしたたか殴られている。
腰を叩くと腰が抜けて垂れ流しになると言うので、
襟髪を掴かんでぶら下げておいて額を火の出るほど拳骨で殴られている。
何かの本に猫の頭は特別かたいからいくら叩いても平気だと書いてあった。

猫の小さな薄い頭蓋骨など、人の拳にかかれば容易く砕けてしまう。
何故そんな簡単な事が解らないんだろう。
仕草が気にくわないからという理由で殴り殺すのか。
犬や猫が相手ならそれが許されるというのか。
暴力や死への麻痺、だろうか。
よく知っているからこそ、最も忌むべき事の筈なのに。


僕の父も「男がたかが犬猫くらいの事で泣くな騒ぐな」
という様な気風の持ち主だ。
強さと厳しさを身に着けんとするが為、
あえてそうした考えを示したに過ぎないのかも知れないが、
僕にはそれがどうしても強さや厳しさに結びついて行かない。
それは幼い頃から、僕にとっては寧ろ嫌悪し、軽蔑し、
唾棄すべきものだった。
犬猫くらいのことで、というのなら、
犬猫くらい労ってやれない人間が、
人を慈しんだり尊んだり出来るとは
僕にはとても思えない。