近所の中華屋の御亭主が亡くなったと聞く。


ここに越して来て、始めて出前を頼んだ時、
がらくただらけの玄関でおかもちを開けながら
「玩具屋さんを始めるんですか?」
と真面目な顔で訊いてきた親父だ。
出前を頼むと、いつも驚くべき素早さで
炒飯と餃子を届けてくれた親父だ。


何度も出前を取り、何度も店へ行ったが、
親しく言葉を交わした事は一度もない。
親父は眉間に少し皺を寄せて、黙々を中華鍋を振り、
時々厨房から顔を覗かせてテレビの野球中継を見て
常連客と一言二言話す。


僕はいつも決まって高菜炒飯を頼んだ。
メニューは豊富過ぎるくらいに豊富で、
散々迷った挙句、結局いつも高菜炒飯を頼んでしまう。
高菜の酸味が程好く利いた香ばしい炒飯は、
美味しいけれど旨過ぎず、日常的に口にするのに「丁度良い」味だった。
食べ終わった後で、今度来た時こそ別な物を注文してみようと思うのに
次に行って「何にしましょうか」と訊かれると
また「高菜炒飯。」と言ってしまう。


奥さんと娘さんが時々店を手伝ってはいたが、
二人は注文を聞いたりレジを打つのみで、
料理も出前も全て御亭主がやっていた。
きっともう店を閉めてしまうだろう。


もっと別な物も注文してみれば良かったな、と思う。
でも もしもう一度親父に出前が頼めるとしたら、
やっぱり僕は 「高菜炒飯一つ。」と言ってしまうだろう。