夜、携帯にこんなメールが入る。
「ポストに珈琲入れといたから。」
で、ポストを見に行くと、
淹れたての熱い珈琲が入ったポットに、
お茶菓子(この間はひよ子饅頭だった)が添えられている。
こんな嬉しい出来事が度々ある。


御近所に住む友人の仕業である。
部屋に戻り、マグカップに注いで早速頂く。
この珈琲が只者でなく美味しい。
ぼくの鈍めな舌でもはっきりと違いが判る程に美味しい。
何と言うか実にさりげなく美味しいのだ。


この友人が随分前から珈琲に凝っているのは知っていたが、
小難しい薀蓄を垂れるでもなく、さりげなく淹れられた珈琲が、
さりげなく美味しいというのは、なんだか非常にカッコ良い。


見えない部分では、新鮮な珈琲豆を専門店に買いに行き、
酸化が進まない様保冷剤入りの容器に入れ、
素早く持ち帰って冷凍室で保管したりと
大変な努力がなされている様なのだが、


差し出された一杯の珈琲はいつも、
そうした見えない部分での気遣いを知らずとも
当たり前に、さりげなく、美味しい。


これは人をもてなす際の一つの技だと思うのだが、
さりげなく人をもてなす、というのは一番高等な技術であるから、
こういう事がさらっと出来る人というのは
なんだかやっぱりカッコ良いなあ、と思う。


ぼくも何か一つくらい身につけたいものだ。