慣れ

 

今週のお題「ちょっとコワい話」

 

久し振りに覗いたら、Blogのお題、というのが目に入って、それが「ちょっとコワい話」というので、暑気払いになるかどうか判らないけれど珍しく乗っかってみることにする。

 

まだ猫一匹と人一人で暮らしていた頃、ちょっとした事情があって、以前に鍼灸院として使われていた旧い建物に棲んだ事があった。

二階建てで、診療ベッドを幾つも並べてカーテンで仕切っていた診察室の名残がそのままにあって、元々住居として建てられたものではなかったから住まいとして使うにはいくらかの工夫が必用だったけれど、広々としていて猫も一階と二階を自由に駆け回って快適そうにしていたので、僕としては何の不満も無かった。

しかしそれまで都内の息も詰まる様な狭いワンルームで暮らしていた所為か、急にがらんとした家で眠るのに不慣れで、越してすぐは寝付きが悪く、おかしな夢を見ることが度々あった。

眠っていると、二階にゆっくりと上がって来る階段の軋む音がして、ふわりとした白いワンピースを着て、髪を後ろでお団子にした白人の中年女性が現れて、僕のベッドの周りをふわふわと漂いながら、聞き覚えのない言葉で何かを盛んに耳許で囁く。

髪も肌も服も全体に白っぽくて、大柄ではないが幾分ふくよかな感じの人で、怖いというほどでもないのだけれど何を言っているのかさっぱり解らないし、どうにも場違いな感じでもあるし、兎に角距離が近いので気味は悪い。

起きてからも夢にしてははっきりとした印象が残っていて、つい先程までこの部屋に誰か居た、という感じがして奇妙な体験だった。

これはまあ夢見が悪かった、というだけのことであって、珍しくもない。

 

この建物にあった鍼灸院はすぐ近くに新築して移転していたのだが、時折以前の患者さんが間違えて訪ねて来てしまうことがあった。

そういう時は丁寧に移転先を案内してお引き取り願っていたのだけれど、暫くするとそれが明らかに診療時間外の時にも起こるようになった。

建付けの良くない古い建物な上に診療院によくある硝子扉だから、施錠をしていても外からドアを開けようとするとサッシが大きな音を立ててギイッと鳴る。

その上二階の雨戸も振動でぼわんぼわんと大きな音を立てるので、すぐに気付いて玄関へ出向くのだけど、つい今しがたまで鳴っていたドアを開けると、もう誰も居ない。

それは夜半だったり、明方のまだ薄暗い時間帯によく起こった。

ドアにでかでかと移転先の張り紙もしていたし、病院でも案内を出していたから、そのうちそうした間違いは殆ど起こらなくなったのだけれど、それでも時折間違えて来てしまうのはかなり御高齢な患者さんが多く、そうした患者さんの中には暫くお見掛けしないなと思っていたら、何時の間にかお亡くなりになっていたということも然程珍しくはない、という話を聞いた。

 

矢張りこの鍼灸院の関係者から聞いた話でこんなエピソードがある。

ある常連患者さんで、一階の待合に座る場所もない程混んでいる時に、治療が必用な状態の高齢女性を立たせたまま長く待たせるのを気の毒に思った施術師が、二階なら席が空いているからどうぞ、と二階へ通そうとするのだけれど、どんなに勧めても頑なにそれを拒むので、不思議に思って理由を訊ねると、二階はいつも、もう居なくなってしまった筈の古い常連患者さんたちで満席だから、と答えたのだそうだ。

 

時間に縛られず昼となく夜となく訪ねて来てはドアを鳴らしていたのは、一体誰だったのか、何時の間にか、ドアが軋むのも雨戸が鳴るのにも、階段がゆっくりとした足取りで踏みしめられるように音を立てるのにも慣れ、一々出向いて様子を窺う様なこともしなくなった。

 

慣れというのは怖いもので、人は大抵の事に慣れてしまう。

何度も繰り返し体験するうち、感度が鈍くなるというのか、麻痺するというのか、兎に角一々反応しなくなる。

この頃この家で使っていたのは、当時としてもけして新しくはないブラウン管のテレビで、大型のスピーカーを搭載しているのを売りにした、無駄にでかくて重たく黒い、薄くて軽い物ばかりが持て囃される中で取り残された、「時代の遺物」だった。

音はそれなりに良かったので映画を観るのにもゲームをするのにも都合が良かったが、これがここへ越してからというもの、段々に狂い始めた。

狂う、という表現がぴったりの壊れ方で、番組の途中でもゲームの途中でも、いいところでお構いなしに勝手にチャンネルが変わる、ボリュームが勝手に大きくなったり小さくなったり、挙げ句の果てには勝手に切れて無反応になる。

諦めてリモコンを投げ出すと勝手に電源が入る、といった調子だ。

真夜中に突然電源が入って砂嵐を映し出し、ザーザーという音量を最大に上げて叩き起こされた時は流石に驚いて固まったが、暫くするとまた勝手に切れて、部屋は何事もなかったように静まり返った。

来客のある時も点いたり消えたり勝手にチャンネルを変えられたりが頻発するので、何時の間にかそれが当たり前になって、客も僕ももうそういうものだと諦めてそのままにしていた。

慣れた客になると、最初は気味悪がっていた者もゲームの途中でチャンネルが変わるので、テレビに向かって悪態をつくぐらいにまでなった。

何しろ買い換えるお金もなかったし、全く使えないという訳でもないのでついそのままに過ごしたけれど、今になって思い出すとちょっとしたB級ホラー映画の演出みたいなことが、日常茶飯事に起こっていた。

 

今にして思えば、どうして当時もっと怖いと感じなかったのだろう。

その都度怖いとは思った筈だが、こうして事象を書き留めると、もっと怯えてもよさそうなものだという気がする。

 

猫が居たからだろうか。

細くて小さくて、抱くと本当に驚くほどに軽い猫だったが、いつも凛として白く輝いていた。

常に堂々として、主の様に振る舞っていた。

実際、そうだったかも知れない。

どんな暗闇でも手を伸ばせば、柔らかで温かいその身体に触れる事が出来た。

いつも傍に居て、指先にその温もりや喉を鳴らすのが伝わるだけで、殆どのことが、取るに足らない些細なこと、と思えた。

 

触れることが叶わなくなってから、もう数年が過ぎた。

今も恋しく思わない日はない。

どんなことにも慣れるのに、手を伸ばしてもそこに居ないことに、暗闇で喉を鳴らす音が聞こえて来ないのにも、まだ慣れない。

 

猫も盆には、戻ればいい。

 

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