額の感触
いつもの事で、後で書き留めておこう、と思った切り、更新せずにそのまま過ごして忘れてしまう日々のあれこれ。
二人の子は無事に四歳と二歳になり、上の子はもうかなり色々と話をして意思の疎通が可能となり、殆ど親を困らせる事もなく、優しく物分りの良い様子に却って不安になるくらいで、只、おむつだけがまだ取れないでいる。
一時間おきにトイレへ連れて行けば粗相することもないが、小用の方だけはどうしても自己申告をしてくれないので顔色を窺っては「トイレは?」を繰返す。
それもきっともうすぐ何とかなるのだろう。
身体が弱くて風邪ばかり引いていたのもやっと一段落して、最近は少し病院通いの間も開くようになってきた。
後は気が優し過ぎて下の子に泣かされてばかりいるのが少々気掛かりなくらい。
園で誰それが僕を叩いたんだよー、等と報告してくる事がよくあるので、「そういう時はやり返さないの?」と訊ねると、「うん、僕はしないよ。」と笑う。
「どうして?」「だって先生が怒っちゃうもの。」と言う。
やられたらやり返す、という考えに全く及ばないのは、弟とのやり取りの中にも覗える。
きっと諍いが苦手で穏やかな性格の妻の方に性格が似たのだろう。
僕はやられたら即座に何倍にもしてやり返すような疳の立った子供だったから、これで良かったような、少々心許なく感じるような複雑な気持ちで見ている。
下の子はいくらか僕に似てしまったようで、お兄ちゃんへの仕打ちは容赦ない。
毎日のように兄を泣かせては楽しげに笑っているが、それでも兄と遊ぶのは大好きな様子で、いつも傍にくっついて離れない。
先日、父の容態が悪くなって、とても久し振りに父を見舞った。
父はもう家族の顔も判らなくなって、母が亡くなったのも知らずにいる。
何もかも忘れてしまっても日々が穏やかに過ごせるのなら、それでかまわない、と思う。
それを寂しく思うのはこちらの都合であって、もうあれこれと高望みして求めてはいけないのだ。
戦火を経験し、充分過ぎるほどに働いて苦労に苦労を重ねて来たのだから、夫婦でもう少しゆったりとした良い時間を過ごして欲しかったけれど、そう思うのもやっぱり僕の都合に過ぎない。
痩せて小さくなった父の額に手を添えると、乾いたひんやりとした感触が伝わって来て、それがいつまでも掌に残った。
近くの公園で待たせていた妻や子のところへ戻ると、子供たちが大はしゃぎで滑り台から歓声を上げている。
ついにこんな暖かな日差しの下で一緒に過ごす事が一度も出来なかった事を、悔やむ様な気持ちになるのを振り払うのに苦労する。
顔に明るい日差しを受けているのに背中はいつまでも冷えたままで、何だか自分が何処に居るのかよく解らないような気持ちになった。
二度目の見舞いに行く時、父はきっともう目を覚まさないだろうけれど上の子を連れて行こう、これが君のお爺ちゃんで、お父さんのお父さんなんだよ、と言っておこう、そう思って病院へ向かったのだけれど、結核を発症して感染のおそれがあるという事で、それも叶わなかった。
病室へは僕が一人で入り、父が眠るベッドの横に暫く黙って立っていた。
悲しいのか悔しいのか、自分が何をどう感じているのか、もやもやとして判然としない。
掛ける言葉も浮かばない。
高齢である事や病状から、特別な延命措置は取らない事、すぐに設備の整った別な病院に転院になる事等の説明を受ける。
今はもう只々、苦しまないで楽にしていて欲しい。
母の時と同様、そればかりを考える。
不器用で寡黙で、プライドの高かった父の姿を憶えている。
僕の中に何時迄も残るのはその姿で、今の父の姿ではない。
それはきっと父がそう望むと思うからで、自分もそうありたいと考えるからだ。
病を得て、どんな最期を迎えても、生きた時間の価値が変わる事はない、と考えるようになった。
そう信じたいのかも知れない。
そうしてそれを家族や親しい人たちには知っていて欲しい。
そう伝えておこう、と思う。
病であろうと事故であろうと、家族に哀れに思ったり、理不尽也と憤ったりして欲しくはない。
だから、僕もそうしようと思う。