時折
招かれざる客でもやって来た様な
乱暴な音を立てて
ごとごとがたがたと
雨戸や玄関の扉が叩かれた。


一日中強い風が吹いた。
何処かの家の洗濯物が飛ばされ
鉢植えが倒されて割れ
お店の立て看板は何処か別な処へ旅立とうとしている。


がたがた揺れる雨戸の音を聴いているうちに、
家にあった一枚の絵の事を思い出した。
それは一見、子供が悪戯描きをしたみたいな
素朴で拙く見える細い線で描かれたスケッチだったが、
描かれているのは枝を大きく広げた一本の大樹で、
その枝には果実の代わりに、
大小様々な沢山の魚たちが下がっているのだった。


その不思議な絵を描いたのは年老いた画家で、
父の新しい友人だった。


父は捕鯨が盛んな港町で育った。
海の近くは、陽射しも風も容赦ない。
幼い頃何度か訪ねたその土地で、
僕は時折岬や崖の上に独り立ち、
足許のずっと下の方で、激しい波が岩浜に砕け、
大きな渦巻きを作るのを見下ろした。
脚が震えるくらいに恐ろしいのに、
いつまでもそこから目が離せない。
それは惹き込まれてしまう様な不思議な光景だった。
崖の上には、厳しい潮風に抗う様に
海の方へ身を迫り出した大木が根をおろしていた。
長い年月を厳しい潮風に身を晒し、尚、そこに在り続ける為に
捻れて、風に枝を折られ、もぎ取られる度に瘤だらけになった樹皮は、
ごつごつした岩肌の様に硬く、厚くなっている。
その姿は幼い僕の目に、
腕を大きく広げ、海を睨みつけて立っている
一匹の鬼の様に映った。


幼き日の父も同じ場所に立ち、同じ光景を見ていた。


嵐の去った次の日、荒れ狂っていた海は嘘の様に凪ぎ、
あの鬼の木にも、柔らかな陽射しが降り注いだ。
朝早くに出掛けた父は、そこで不思議な光景を目にした。
鬼は大きく広げたその腕に、沢山の魚を抱えて父を迎えたのだ。
朝日の中で枝に下がった魚の鱗が
まだ濡れてきらきらと青く輝いている。
前日の嵐で大波に巻き上げられた魚が木の枝に引っ掛かり、
いくつもの奇妙な果実の様にぶら下がっていたのである。


父はその時見た光景を
酒の席でまだ知り合って間もない画家に話した。
語りながら、何十年も前に見た光景を、
まざまざと思い出したのだという。


暫くして一枚の絵が父の許に届いた。
父は幼き日に見たままの光景を、
今では見たい時にいつでも、額縁の中に観る事が出来る。
画家は父と別れるとすぐに筆をとり、
今聞いたばかりの光景を描いたのだ。




何度か父に連れられ、年老いた画家に会いに行った。
僕は彼が少し恐かった。尋常でない目の輝きや鋭さは、
僕が知っている周りのどの大人の持つものとも違ったからだ。
彼は路傍の小石を拾っては、箔と漆で蝶を描いた。
そして描いたものは頓着せずに人に投げ与える。
平坦な暮らしとは程遠い人生だったと聞いた。
したい事だけをして生きる。
その為に修羅と化した事のある者だけが持つ凄味の様なものを
年老いて尚、全身から発散させていた。
僕は多分、その気配が恐かったのだ。
恐ろしいけれど目が離せなくなる、あの渦巻きの様に。



画家は、潮風に耐えて耐えて、
捻れて瘤だらけになったあの鬼の木に
とてもよく似た人だった。