あるようなないような

あるようなないような (中公文庫)

あるようなないような (中公文庫)

ことエッセイに関しては
読んでいる最中に何度心の中で頷いたか、
その回数と頷きの深さによってお気に入り度が決まってくる気がする。
江國香織の「とるにたらないものもの」も
何度も頷かされるエッセイ集だったけれど、
あちらは「物」に関しての記述が主で、
「あるようなないような」は、「事」に関して多く語られている。


「あるようなないような」に収録されている「頭蓋骨、桜」という話の中に、
頭蓋骨好きの男が出て来る。
街で好みの頭蓋骨を持った異性に出会うと、
つい声を掛けて茶などに誘ってしまうのだそうだ。
僕は人の顔を見ると、その皮膚の下に隠されている頭蓋骨の形を
あれこれと思い浮かべてしまう妙な癖があって、
だからこの話も読んでいてにやにやしてしまった。
この人の眼窩は丸くて可愛いな、とか
この人の頬骨は細くて華奢だな、とか
そんな事を思いながら人の顔を眺めていると、
何だかそのうち、目からエックス線でも照射しているかの如く、
鮮明に皮膚の下が見通せる様な気がして来る。


そんな、あるようなないような、お話。



 

頭蓋は日常語として一般にズガイと読まれているが、
1943年(昭和18年)制定の医学用語、
解剖学用語ではトウガイと読むことに定められた。
しかし日常語としてのズガイも併用されている。

だそうだ。

http://web.sc.itc.keio.ac.jp/anatomy/osteologia/osteologia03.html