こんな夢を見た
ひなびた観光地らしき場所。
ずっと昔、暫くの間この辺りで暮らしていた記憶がある。
これから駅を目指し、電車に揺られて、今は遠く離れた我が家へ帰らねばならない。
辺りはすっかり暗く、脚は疲れ切っている。
大きな神社の境内へと続く急な坂道へ向かうが、路面電車の為に設置された遮断器がいっこうに上がらない。
大勢の人達がいつまでもいつまでも待ち続けている。
待っている間、通りの向こうの建物へ目をやると、壁面に三人の男が張り付いて、大きな団扇を下に向けてゆっくりと扇いでいるのが見えた。
日に焼けた藍色の作業着、ニッカボッカ、脚絆、ヘルメットにマスク。
三人とも揃いの格好で狭い足場に立ち、背中を壁に押し付けるようにして、古ぼけた大きな団扇を所在無さげにゆらりゆらりと動かしている。
建物の壁面にある貸看板のスペースは長く使われないまますっかり蔦に覆われて、まるでその男たちが看板の一部にでもなってしまったかの様に風景に溶け込んでいる。
この遮断器は、いつまで待ってもけして上がることはないのだろう。
道も、建物も、遮断器も、全てが古ぼけて埃じみている。
僕は遮断器の降りている道沿いに、線路の脇を歩き始めた。
後ろから遮断器が上がるのを待ち続けている人たちの「あっ」という小さな非難の声や、舌打ちが追って来る。
通りの両側には土産物屋や料理屋が所狭しと並んでいて、呼び込みや売り子たちが声を掛けてくる。
「よかったらこれどうぞお持ち下さい〜。」と手に押し込まれたのを見てみると、いかにも質の良くなさそうな靴下の三足セットだった。
まあ只なら貰っておくか、と礼を言って歩を進めると、すぐにまた別な売り子が声を掛けてきた。
服装から、さっき靴下をくれた店の者だと判る。
「ちょっとお時間いいですか〜?これうちの新製品なんですけどぉー、すごーくいいんですよぉ〜?お試しになりませんかぁ〜?今ならとってもお安くなってますぅ〜。」と息継ぎもせず話し掛けてくる。
さっき物を貰ってしまった手前、無下にするのも何だか申し訳ないような気がして、立ち止まりはしないがつい曖昧に返事をしてしまう。
ああ、こういう仕掛けだったのか、やられたな、と思う。
歩を緩めてはいけない。
小柄で髪の短い、人懐こそうな笑顔を貼り付けたその女は、どこまでもどこまでも付いて来た。
「こちらへは御旅行ですかぁ〜?お宿はどちらですかぁ〜?」等としつこく話し掛けてきていたのが、そのうち耳慣れない呪文のように聞こえ始め、何やら恐ろしくなってきた。
ふと、聞き覚えのある猫の鳴き声がした。
細くて高い、小さな声なのにどんなに遠くにいてもよく聴こえる、あの不思議な声。
はっとして顔を上げると、昔飼っていたのにそっくりな、小さな猫がこちらをじっと見ている。
柄は少し違うようだけれども、間違いなく同じ血筋の猫だ。
思わず駆け寄って背中を撫でたけれど、すぐにするりとすり抜けて行ってしまった。
細くて柔らかな感触も、何もかもそのままだった。
嬉しくなって立ち上がると、不気味に思い始めていた女の姿はいつの間にか消えていた。
よく見ると、通りのあちこちに、柄は色々だけれど顔や声のそっくりな猫たちがいる。
土産物屋の店先や路地裏にしたたかに根を張って、誰にも飼われず、時々は暗がりや石畳に染み込む様に消えてしまったり、また突然姿を現したりしながら、まるで空気や、雨や、お日様の光みたいに、誰にも邪魔されずに暮らしている。
ああ、遠い我が家へ帰らなくては、と思う。