バンシー

三十日の十時を回った頃。

甥が自死したらしい、との知らせを受ける。

何故そのような事になったのか、詳しい事情が全く解らず、困惑する。

甥が成人してからは、日頃から親しく接していた訳ではないが、小さな頃には何度か子守を引き受けたりした事があった。

人懐こくて、「おいで。」と声を掛けると、さも構われるのが嬉しい、といった様子で、何をするわけでもなく、只にこにこしながらいつまでも傍に居た。

丁度今の家の長男と同じ年頃だったからだろうか、その嬉しそうな顔ばかりが思い出される。

事情があり、兄は殆ど男手一つで子供達を育てた。

仕事が忙しく、家で過せる時間はほんの僅かしかない。

父も母も、家で兄の帰りを待つ孫達を心配して、何くれとなく世話を焼いて気に掛けた。

僕が実家を離れてからはあまり顔を合わせる機会もなく、気付けば甥はもうすっかり大人になっていて、家を出て家族ともあまり連絡を取らなくなっていた。

それが近年ひょっこりと帰って来て一緒に暮らすようになり、長い時を経て、また家族の時間が戻って来たようだった。

亡くなる前の母も、孫の帰還をとても喜んでいたのだ。

それがどうしてこんな事に…と思う。

傍で遊んでいる息子の顔と、幼かった頃の甥の顔が重なる。

子供にこうした形で先立たれる悲しみや苦しみはいかばかりか。

驚き。悲しみ。困惑。怒り。後悔。諦め。

どのような慰めも意味をなさない、深い深い暗闇の底へ突き落とされるかのような絶望感。

それらが全て一気に押し寄せてくるように感じる。

気が塞ぐ。

僕でさえそうなのだ。

親や兄弟である彼らは今、どんな気持ちでいるだろう。

それを思うと葬儀へ向かう足取りはどんどん重く、苦しく感じられた。

妻が同伴してくれた事で、いくらかは救われたのだけれど。

 

兄が気丈に喪主の挨拶をする。

平素と変わらぬように話そうとするが、矢張り声が詰まり、肩が震える。

人前で涙を見せる事など想像するのも難しい父だったから、泣き方だけは教わらなかった。

上手な悲しみ方を教わらなかった。

「小言もあるが、最期は、息子でいてくれてありがとう、来世でもまた親子でいような、次はもっと上手くやろう、あの世で頑張ってまた戻って来い」と送り出したい、と言った。

そうやって自分の気持ちに折り合いをつけ、何とか踏み留まっているのが判った。

どれほど悔しく、どれほど深い暗闇の底に居るか。

 

遺骨となって、骨壷に収める為火葬場の職員に突き崩されていく甥の頭骨を見て、改めてもう彼はここには居ないのだ、と思い知らされる。

もう、どうする事も出来ない。

あの時ああすれば良かった、こうしてたら何かが変わったろうかと思う事が、もう何の意味もなさないのは頭では解っていても、考えるのを止められない。

 

自分の息子の遺骨に手を合わせ、一礼する兄の後ろ姿を見る。

親にこんな風に頭を下げさせるなんて、とやり切れない気持ちになる。

亡くなった者を責めたり貶めたりする気は毛頭ないけれど、なんで、どうして、という気持ちは収まらない。

 

もし自分がこのような立場に置かれたら、こんな風に立っていられるだろうか。

急な話で吃驚させちゃったね、と笑いかけさえしようとする兄に、何の慰めの言葉も掛けられず、「いや、じゃあまた。」と矢張り普段通り返して別れるのが、精一杯だった。

 

 

家で変事のあった翌日、甥は亡くなった。

嘆息や泣き声を聞かせてその家の近親者の不幸を知らせるという嘆きの妖精、バンシーの伝説を思い出した。

あの、聴いた者を不安にさせる深い憂いを含んだ哀しげな溜息の正体は何だったのだろう。

 

甥の葬儀は二月二日に執り行われた。

奇しくもその日、僕の息子は五歳の誕生日を迎えた。

だからこそ、考えずにはいられない。