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「猫鳴り」という本を読んだ。

猫鳴り (双葉文庫)

猫鳴り (双葉文庫)


チィさんが入院した頃に書店で手に取り、
読むのが辛いに決まっているのに、
半ば自棄気味にレジへ持って行ったのだけど、
結局今日まで一度もページを開かなかった。
だけど今、読むべきなのじゃないかと思って
あまり気乗りしないままに読み進めてみたら、
チィさんの闘病中の様子や、その傍に居てずっと考えていた様な事が
本当にそっくりそのまま文章になっていて、
もう辛いだの何だのを通り越して只驚いてしまった。
作者の方も同じ様に猫を看取った経験があるのだろうか。
そうとしか思えない。


特に驚いたのは、末期に入ってからの猫の様子の中に、
主人公の老人の顔をひたすらじっと見詰める様になる、という場面があって、
チィさんも全くその通りだったから、
他の猫も矢張り同じ様になる事があるのだろうか。
巧く説明する事が出来ないのだけれど、
その見詰め方というのが本当に怖いくらいに静かで、
これまでの様子と全く異なるので、
どうしてもその意味を探らずにはいられなかった。
人の言う「達観」、というのではないと思うのだけれど、
もうすぐ自分が最期を迎えると知ってか知らずか、
身体が弱って行くのだからあちこちに不調が出てきっと辛い筈なのに
態度があまりにも落ち着いていて、少しも怯えたりうろたえたりしないのが
逆に僕には何だか少し恐ろしく思えた。
チィさんが怖がらない分、僕は傍でおろおろと怯えて過ごした。
そうした感情も、そっくりそのまま本の中に描かれている。
もし、病院ではなく、住み慣れた環境で看取る、
という別な選択肢を選んでいたら、或いはチィさんも…
という様な事を考えさせられた。


もしもう一度やりなおせるとしても、僕は同じ選択をするだろうか。
苦しむのを見ていられなくて、やっぱり慌てて病院へ駆け込む様にも思うし、
もしかしたら今度はそうはしないかも知れない。
後悔はしていないし、どうするのが正しいとか間違っているとか
良い悪いもないだろうし、きっとこの先いくら考えてみても
いつまでも答えは見付けられないだろう。