ドアが軋む音も、窓から吹き込む風の音も、
あの唄う様な、独り言の様な、微かな鳴き声に聞こえる。


玄関を開ける度、部屋を移動する度、
無意識にそこにチィさんの姿を探してしまう。
それが習慣になってしまっている。
居なくなって始めて、それを嫌というほど思い知らされている。
ここに越して来てから、この家にチィさんが居ない日は一日もなかった。
だから気兼ねなく窓を開け放ったのも、
いつも新鮮な水が飲める様にと常に置きっぱなしの水盆を片付けるのも、
全く初めての事だ。
家の中を気持ち良く風が吹き抜けて行くのが悲しい。
水盆を避けずに歩き回れるのが悲しい。


チィさんはいつも何処かの部屋の窓辺で日向ぼっこをし、
布団の上に先回りをし、洗ったばかりの洗濯物を毛だらけにした。
食事を済ませて部屋を移る時、
テレビを見終わり、何気なく振り向いた時、
寝室の布団の上にチィさんの姿がないのを改めて知る。
今は、チィさんはこの家には居ない。
頭ではよく解っている筈なのに、
滑稽なほどに気持ちがそれを受け入れられない。
何度でもその姿を探してしまう。


あんなに小さな身体で、驚くほど小さな声でしか鳴かないのに。
いつも居るか居ないか判らないくらい静かな猫なのに。
居ないとこんなにも家の中ががらんとして感じるなんて。


今からこんな調子では先が思い遣られる。
どっしりと腰を据えて、帰りを待たねばならぬ時なのに。




今朝方、以前に御縁を頂いて彫らせてもらった
ムーンブーツの容態が思わしくないとの知らせが来た。
http://uronnaneko.jugem.cc/?eid=905
http://j.mp/9ZBupr
盲目で聴覚を持たず、歯は抜け落ちて背骨は湾曲し、
満身創痍の身でありながら、その存在は凛とした輝きを放つ。
いつかボストンに会いに行けたら、とそう願っていた。
そのムーンブーツが今、病苦との最期の戦いに挑んでいる。
それを見守る御家族の心中は、今の僕には身に沁み過ぎて酷く堪える。
家人の足取りを床からの振動で感じ取り、
背中にそっと添えられた掌からの温もりに応え喉を鳴らす。
そのムーンブーツが、御家族にとってどんなに特別な存在か、
想像するに余りある。
ムーンブーツと共に暮らして来たリダさんは、
一ヶ月の間殆ど不眠不休で看病し、今では殆ど一体化してしまった様だ、
と妹さんからのメールにあった。
ムーンブーツの痛みを、苦しみを、全て引き受けてしまいたいのだろう。


どうか、どうか。
あの凛とした美しい猫が、これ以上苦しみません様に。
リダさんが御自分を苦しめる事がありません様に。
それはきっと、ムーンブーツが一番望まない事だから。


メールには、今、僕が彫ったムーンブーツがリダさんを支えている、
とあった。
心の準備をする助けになっている、と。
こんなに誇らしい事はない。
こんなに嬉しい事はない。
リダさんを最後まで支えて欲しい。
ムーンブーツを守って欲しい。
あの猫は、力一杯のその思いを注ぎ込んで彫り上げたのだから。