友人に誘われてグループ展へ。
折り悪く、美術団体の偉い先生らしき人物が
展示会場の真ん中にパイプ椅子を据えてふんぞり返っている。
それぞれの絵を講評している様子。
母親が思春期の息子さんをモデルにして描いた絵について、
顔立ちに比べ体格が未発達である事や
アンバランスである事を指摘している。
実際にモデルに会った事はないらしい。
指摘の内容が的外れである上に
言い方が乱暴で実に下品だったので、
聞いているうちに段々と不愉快になって来た。
講評というよりは、口汚く罵っているに過ぎない。
会期中に閲覧客の眼前で得意げに講評するなど、
それだけでも充分に非常識な振る舞いだが、
無造作にチョークで作品に手を入れるに至っては、
他人事ながら腑が煮えくりかえる思いがした。
自分の事なら後先も考えず襟首掴んで会場の外に放り出すところだろう。


これに似た光景を何度も目にしてきた。
滑稽なくらい威張り散らす輩も、
誰それの弟子と知った途端に
嫌らしい愛想笑いと謙った態度で擦り寄って来る者も
嫌と言うほど見て来た。
うんざりして呆れ果て、仕舞いに気にも留めなくなった筈なのに、
久し振りだった所為か、言い様が描いた者の心を
酷く踏みにじるものだった所為か、
危うく他人事に出しゃばって余計な事をしでかすところだった。
友人が居てくれて良かった。


閲覧後に描いた方と少しメールのやりとりをした。
大人になり始めた息子さんをモデルに
それを見守る自分の複雑な心境を絵にしたかったのだという。
その危うい、儚げな様子は、偉いつもりの先生が
アンバランスと言い捨てた体格からも充分に感じ取る事が出来たし、
モデルを知らずして全体のバランスを指摘するなど、
どう考えても軽率で思い上がった行為だ。
第一、母親が子供を見る目に勝る観察眼など、他にあるだろうか。


威張りんぼが帰る際に、出品者が駐車券を差し出した。
講評を受けた作家は笑顔で頭を下げようとしている。
威張りんぼは「ああ、身障者用の駐車スペースに置いてきちゃったからいいよ」
と笑って手を振った。
問いただされたら腰が痛いとでも言う、と笑った。
駐車券を差し出した人は聾唖者だ。
笑顔が凍り付く。


何処の世界にも人の心を平気で踏みにじる様な輩はいるものだし、
一々腹を立ててみても仕方がないけれど、
それでも矢張りこうした光景を目にする度に
「くたばれ!」と思う。


年を経て少しは穏やかになって
体型も性質も丸くなったつもりでいたけれど、
どうやら年々丸くなる一方なのは体型の方ばかりで、
何だか最近あちこちで腹を立ててばかりいる。
時々は、身内の者に無礼があれば容赦しない、という様な
物々しい気持ちで、つい喧嘩腰になってしまう事もあるし、
怒る事が稚拙さの表れである気がして恥ずかしい。
何事にも怒らずににこにこと受け流せる様なのが理想であって、
あちらでもこちらでもすぐに難癖をつけて突っかかるのは止めにしたい。






でもやっぱり




「くたばれ!」