怒りに任せて

気になっていた映画を観た。
素人臭い映像も、真摯さの感じられない演技も、
奇を衒ったつもりの題材も、何もかもが不快で虫唾が走る。
痛みを知らぬものが面白半分に痛みを捻くり回して弄ぶ。
解った風な小賢しさや、訳知り顔でそれに頷く軽薄さを心から憎悪する。


思い切り不愉快になったついでに、
嫌いなモノ・コトを挙げ連ねて一度に踏み潰してしまいたい。
むくむくとそんな気持ちが湧いてきた。


誤解を懼れず言うならば、
強烈な上昇志向やハングリー精神が大嫌いだ。
やたらと忙しがって目をぎらつかせ、
いつも新しい出会いや繋がりを求めて目が彷徨っている。
好奇心旺盛なのは美徳になり得るが、
あまりにも露骨に貪欲さを剥き出しにして
次から次へと新しい刺激や欲求を満たす為の手段を追い求める姿を見ていたくない。
目をぎらぎらさせ涎を垂らしそうな顔で擦り寄って行く様は何とも醜い。
そうしたモノ・コトから出来得る限り遠く遠く離れて暮したい。
巻き込まれたり関わり合いになりたくない。


飄々と我が道を行く人、内省的な人ほど、話してみると興味深く、
内に豊かなものを湛えている事に気付かされてきた。
逆に外向的過ぎて外へばかり目の向いている人と話すと、
薄っぺらで味気ない会話に失望させられる事がある。
飢えを満たす為に貪欲にならざるを得ないのは、
結局自らの貧しさから起こる不安を埋める為に他ならない。
外に求めたところで受け皿がなければ、いつまでも満たされないから、
永遠に満ち足りる事なくいつまでもがつがつと貪り続けるしかない。

外にばかり求めず、内に内に掘り下げて行く方が、
ずっと得るところは大きいと思うのだ。


どんな環境にも小器用に順応して見せる人が嫌いだ。
得意げに、すぐに“なになに風”に染まって見せる。
すぐにどんな風にでも姿形を変えられるほど、
ぐにゃぐにゃと不定形で薄っぺらだからに違いない。
“それっぽい”だなんて格好の好い事だとは思えない。
柔軟性がある等という優しげな誤魔化しなど、認めるものか。


不様で不器用な人を愛す。
居場所がないと感じる人を、自分に自信が持てない人を、
痛みに耐えながらやっとのことで踏み止まっている人を愛す。
心許なげに辺りを見回して立ち尽くす人を愛す。

取り繕わぬ純朴さを、間違いを犯す愚かしさを、
またその間違いを悔いる姿を、恥を知る奥ゆかしさを信ずる。


心からいとおしく想うのは、嘘のつけない不器用さ。
切実で真摯な眼差し。
そうしたものを愛す。
いつもそちらの側に立ち、裏切る事なく共に在り続けたい。