芦雪の虎

東博にて、「対決−巨匠たちの日本美術
面白い企画だと思うし、非常に見応えがある。
芦雪の虎を間近で観る事が出来て嬉しい。
漫画的な構図と言えなくもないし、
図録の小さな写真で観るだけでは
まるで漫画そのものの様に見えてしまうかも知れないが、
現物の前に立つと矢張り圧倒的な存在感がある。
これほどの大きさのものをこれだけ巧みな構図で
ぴたりと収めて描き上げた時の芦雪の爽快感たるや
いかばかりか、と想いを馳せる。
前に胡坐をかいて目を細め、煙草を一服しただろうか。
それとも一人静かに杯を傾けたか。
満足げにゆっくりと煙を吐き出して虎に何か語りかけただろうか。
「時々抜け出して人でも喰え」とでも声を掛けたのじゃないか、と
そう考えて口許が緩む。
裏に描かれているという魚を狙う仔猫の姿が是非とも観てみたいが、
いつか観られる機会が持てるだろうか。





心静かに屏風の前に立ち、
そこに描かれた霧の向こうに聳え立つ松林や、
やわらかに風に靡く柳を観た。
瞬間、喧騒は消え失せ、僕はたった独りでその景色の中に居る。
金色に輝くススキが風にざわめき、川のせせらぎや、
今にも飛び立たんとする鳥の羽音を聴いた。
咲誇る菊花の香りに包まれる。


屏風や襖が最早空間を遮る為のものとしてではなく、
別な空間に誘う為の道具へと昇華している事への驚きと感慨を心行くまで愉しむ。




小難しい講釈や他者の下す評価等が
自分の気持ちには何の影響も与えない事を改めて確認する。
誰が何と言おうと好きなものは好きだし、嫌いなものは嫌いだ。
歳を増す毎に他者との違いを認識する事への懼れは薄まり、
迎合する事なく嘘偽りのない自分でありたいという気持ちは
揺ぎの無いものになってゆく。
けして頑なにならず、あるがままに生きたい。


皆同じ方向を向いて同じものしか見ていないなんて、
不健全で不気味な事だ。