ベランダのある場所

友人の新居へ訪問。


以前にも立ち寄らせてもらった事はあったが
その時は引越し直後でまだダンボールが積み重なっていた。
すっかり片付いた真新しいマンションには
そこにはきちんと「二人の空気」が出来上がっていて、
引っ越してから買ったアンティークの円卓も、ベランダで咲いたラベンダーも、
二人の暮らしにもうすっかり馴染んで、矢張り「友人らしい家」になっていた。
友人は引越しをしてから近所をよく散歩する様になったと言う。
落ち着いて穏やかな暮らしをしているのが伝わって来て、羨ましくなる。




ベランダから柔らかな風が吹き込んでテーブルクロスを揺らして行く
ティーカップに少しだけ残ったミルクティー
すっかり日陰になってしまったソファーの上で眠り続けるチィさん
ベランダから取り込まれたまま畳まれずに山になっている洗濯物


そうした光景は容易く思い描けるのに、
そこに僕や、僕と暮す誰かの姿はない。
誰かと一緒にしか作り上げる事の出来ない空気、
“暮らし”と呼べる様な暖かなものが、そこには見当たらない。


入れ物が用意され、さあどうぞと待っているのに
僕はまだ何も準備せずにいる。出来ないでいる。


“落ち着いた暮らしに馴染む自分”を巧く思い描く事が出来ないのは、
何だか酷く寂しい事の様に思える時もあるけれど、
そんな暮らしを一度もしてみた事がないのだから、無理もないのかも知れない。
いつか巧く馴染める日が来るかな、来ると良いな、と思う。




友人たちが駅まで見送ってくれた。
途中に大きなお寺があり、子猫たちが遊んでいた。
しんと静まり返った夜の神社や寺が大好きだ。