久々の帰国の様だったし、日本で行っておきたいところ、
見ておきたいところ、買いたい物はないか訊ねてみたが、
特にこれといって思い当たらないとの返答。
それでも折角だし・・・と食い下がったら、
強いて言えば歌舞伎が観てみたい、との事。
前々から気になりつつ、一人ではなかなか行く気になれないでいたから、
渡りに船と乗っかる事にした。


まずは腹ごしらえ、と、前々から帰国したら一緒に行こう、と話していた
日本橋玉ゐに寄り、穴子の箱飯に舌鼓を打つ。
ここの穴子は“焼き”と“蒸し”が選べるのだけれど、
出汁をかけて食べる時の“焼き”の香ばしさは絶品だし、
穴子本来の柔らかな食感を楽しむには“蒸し”がお奨めだし、
どっちにしようかと話しながら店に辿り着く。
名古屋でひつまぶしを食べて来たばかりの友人は、
違いを楽しむのに“蒸し”を選び、いつもは“焼き”にする僕もそれに倣う。

ここのは盛りがお上品だから、と、大盛を勧めておいて正解だった。
二人ともあっという間にぺろりと平らげる。


昼食を済ませて歌舞伎座のある東銀座に着いたが、
目当ては夜の部の一幕見席、「京鹿子娘道成寺」。
まだ時間が早過ぎる。
Apple Storeに寄って、そろそろiPodでも欲しいねえ、などと
最初は冷やかし半分で入ったものの、店を出る頃には
二人ともどれにしようかと本気で考え始めている。
まだ時間が余っていたので、
松坂屋地下の万惣に寄り、ミニフルーツパフェを食べ、
急に降り始めた雨の中を歌舞伎座に向かう。
チケット売り場には外国からの観光客が多く並んでいる。

一幕見席は一番上にあって天井がとても近い。
花道は身を乗り出しても殆ど見る事が出来ない。
それでも気構えずに歌舞伎を気軽に覗き見る事が出来るのはありがたく、
わくわくしながら幕が引かれるのを心待ちにした。
出し物も「娘道成寺」と言えば、僧・安珍に懸想した清姫
恋しさのあまり蛇身と成り果て、しまいには妄念の炎で
恋しい筈の相手を焼き殺してしまう、という悲恋の後日譚である。
好みの筋で見せ場もたっぷり。思い切り堪能する事が出来た。

見せ場の度にあちこちから「ヤマシロヤッ!」と威勢の良い声が掛かるのだが、
外人さんたちにはこれがどうにも可笑しくて堪らないらしい。
くすくす笑い出し、しまいには真似し始めた。
ぴったりと間を計って「ヤマシロヤッ!」と声が掛かり、
少し遅れて外人さんたちの「ニャニャシニョニャッ!クスクス・・・」という声がする。
どうしても間抜けに見えてしまうが、彼らもそれなりに楽しんでいるのだろう。
一々目くじらを立てるのも無粋なのかも知れない。


こんなに良いものならもっと早くに来てみるべきだった。
怪談ものもどうしても観てみたくなった。
やっぱりその類の話は夏場までは上演されないのだろうか。


興奮冷めやらぬまま歌舞伎座を後にして、
同じ並びにある喫茶YOUにてオムライスを注文。
「今日は食べてばっかりだねえ、歳くうとどうしてこう食い道楽になるのかな」
などと話しながら店に入り、「流石にまだあまりお腹空いてないね、食べ切れるかな」
などと言い合っていたのに、数分後にはフワフワのオムライスに感動しつつ
あっという間に平らげて、満足げに腹を擦っていた。


帰ってから一杯呑みながら話し込んで、すっかり夜更かし。
滅多に帰国しない友人と次にまたこんな時間を過せるのは、
また何年も先の事になるのかも知れない。
そう思うと、あっさり杯を置いて床に着くのが少し惜しい様に思う。