長く急な坂道を、小走りになりながら降りて行った。
僕には誰か連れの女性が居る。
道幅は狭く、緩やかにカーブしていて先は見通せない。


途中、通りに椅子を出して腰掛けている男の前を通り過ぎた。
男は小太りでもじゃもじゃ頭で、円い黒縁眼鏡を掛け、
人参色の上着を着てパイプを燻らせている。
一昔前の漫才師の様な服装だ。
そう思って見たのが気に障ったのか、
通り過ぎて暫くすると突然男が立ち上がって喚き出した。
あまりに騒ぐので、振り向いて軽く手を振ったら、それが拙かった。
「畜生!待て!」と叫びながら猛然と坂道を駆け下りて来る。
体型に似合わず、なのか、体型の所為で加速が付くのか、
驚くべき速さでこちらに近付いて来る。
どたどたと駆け下りながらしきりに何か喚くのだが、
それはもう人の言葉ではなくなっていた。


僕は連れの女性に「走れ!」と声を掛け、自身も坂道を必死に駆け下りた。
坂が急な所為でカーブを曲がり切れず、何度も道からはみ出しそうになる。
すぐに疲れて脚が縺れ始めたが、男が諦める様子はない。
もう止まる事が出来ないのかも知れない。
後ろの女性が捕まれば、どうせ戻らねばならない。
もう立ち止まって息を整えるべきだろうか。
そう思って、この後に起きる騒動の事を考えた。
災難だが、避け様もない。
何故こんな目に、と思うと腹が立って、
必死に逃げ続けるのが馬鹿馬鹿しくなった。


ぎりぎりと歯を食い縛り、拳を握り締めて振り向くと、
もじゃもじゃ頭はすぐ目前に迫って来ていた。