家守

最初のイメージスケッチ

「ヤモリのオブジェ」の制作依頼をお引き受けした。


予め具体的なモチーフが定められている御依頼の場合、
通常は何かしら必ず
そのモチーフを選んだ「理由」が存在する。
形にし、側に置いておきたいと願うに至る
様々な想い入れや愛着がある筈なのだ。
お引き受けするからには、そうした「想い」を
充分に汲み取った上で制作に臨みたい。
もし差し支えなければ…と理由をお伺いすれば、
ヤモリは新居の壁に飾りたいのだ、と言う。
ヤモリは「家守」とも字を当てることから
文字通り家の守り神とされ、なるほど、と頷かされるお話だった。


しかし話を進めるにつれて、それだけではなく、
もっと深い、別な理由をお伺いする事となった。
まだ幼い頃、眠れぬ夜を過ごす度
部屋の中に入り込んで来たヤモリをじっと眺めているうちに
今この瞬間、世界中で唯独り眠れずにいるのではないか、
という不安や孤独、焦燥感から徐々に解放されて行った事。
これまで人生の転機と思える折、必ずヤモリの姿を目にしてきた事。


御依頼して下さった方にとって
ヤモリはけして「気味の悪い爬虫類」などではなく、
「守護と癒し」の象徴なのだ。


お話をお伺いして、僕にも鮮明に蘇った記憶がある。
美大を出て、制作助手として雇われ
彫刻家のアトリエへ通い始めたばかりの頃。
最初に習得しなければならなかったのは
「きちんとした鑿の砥ぎ方」だった。
美大で基本を学んではいても、
それは仕事で通用するレベルのものでは、全くなかった。
息も凍る様な真冬の朝、まだ誰も来ていないアトリエで
薄氷の張ったバケツから砥石を取り出し、何時間も鑿を砥ぎ続ける。
やがて兄弟子達がやって来て昼になり、夜になっても、
僕の砥いだ鑿の刃先は、師の許しが貰える様な切れ味には程遠かった。
見て盗め、という昔ながらの教育方針の許、
鑿砥ぎは一朝一夕に身に付けられる技術ではなかったのだ。
兄弟子達が引き上げ、静まり返った薄暗いアトリエで
僕はとうとう諦めて鑿を床に置いた。
悴んだ指先の感覚はとうにない。
小さな溜息をついて上を見上げると、砥ぎ場にある水道の蛇口に
一匹のヤモリが留まっているのが目に入った。
何気なく手を伸ばし、そっと背中に触れてみる。
ヤモリは驚くでもなく、逃げもせず、
ただそこに居て、静かに喉を上下させていた。
どれくらいの間そうしていたのか、
気が付けば冷え切った指先にはまた暖かな血が通い、
感覚が戻り始めていた。
どれだけやってみても巧く行かない、という焦りも消えている。
もう一度鑿を手に取って砥石に向かう。


何とか辛うじて使える、程度には砥ぎ上がった。
師は黙って頷き、帰宅が許された。


ヤモリの柔らかな背中に触れた瞬間、
いつまでも砥げない鑿の事は忘れた。
悴んだ指先の痛みを忘れた。
空腹を忘れた。
ただそこに自分以外の者が存在する、という事に
何とも言えない安堵感に似た感情が湧き上がった。
「独り」は誰でも寂しい。 心許無い。
誰かに側に居て欲しい。
縦えそれが、「人ならざる者」だとしても。


そう感じたのを鮮明に思い出した時、
このお仕事はお引き受けしよう、
そう心に決めた。