泥棒
すぐに書き留めなかった為に部分的な記憶しかない。
何の都合だったか、断り切れずに見ず知らずの男を家に入れてしまった。
用事を済ませたら早々に帰ってもらわなければ、と考えている。
寝室に居る子供達と妻の様子を見に行くと、居間の方から洗面所の方へ向かっている男の後ろ姿が見えた。
手には包丁が握られている。
しまった、と思った。
男は家に上がるのを承諾されると真っ直ぐにキッチンへ行き、包丁を手に取ったのだろう。
何か追い詰められた様子であったのはこういう事だったのか、と思い当たる。
警察を呼ぶよう妻に言い置いて寝室を出る。
これは話をするだけでは済むまい、と思う。
何故あの時断らなかったのか、と自分の迂闊さを恨むような気持ちで男の方へ向かって行く。
男は薄いブルーグレーの作業着の上に同色のブルゾンを着用。
ズボンも揃いの物。
前回見た雨の夢よりも一層不安な気持ちで目覚める。
不穏な夢が続くが特に思い当たるような心配事はなし。
一月ほど前に泥棒と思われる不審な人物を目撃した事や、前日に火災報知器の点検日だったのを忘れていて、家の中を片付けずに他人を上げてしまった事等が影響を与えているようにも思う。
そう言えば泥棒らしき人物を見掛けたのを書き留めなかった。
深夜にゴミ出しに家を出ると、マンションの暗い廊下に人影が見えた。
こちらに気付くと音も立てずに非常階段の方へ隠れたのが何だか気になって様子を見に行くと、慌てて階段を駆け下りて行く。
何か妙だな、と思いながらゴミ出しを済ませ、自宅のある階へ戻ってエレベーターホールから外を見下ろすと、先程の男が慎重な足取りでまたマンションの方へ向かって来ていた。
その時角を曲がって来た車があって、男はその音を聞きつけると驚くほど俊敏な動きで駐車場に駆け込み、車のライトに照らし出される前に物陰に息を潜めた。
こちらからは死角になり、暫くそのまま見ていたが男は戻って来なかった。
何か疚しい事でもなければあんなに走って逃げたり隠れたりするとも思えない。
車上荒らしらしき人物が駐車場の車を一台づつ覗き込んでいるのも見た事があるし、この辺りの治安の悪さには不安を感じずにいられない。
お世辞にも子育てに向いている、とは言い難い。
灰色の部屋
半地下のようになっているマンションの一室。
洗面所には大きな鏡が張ってあり、その一部がマジックミラーのようになっていて、鏡の裏に小型のモニターが取り付けられており、来客があるとそこに映し出される。
古い装置で解像度は低く、映像はやや不鮮明でモノクロに近い。
モニターの老朽化で後日取替工事があるらしく、暫く使用不可になる、とのこと。
古いモニターが取り外されてみると、室内の照明を落とすと鏡の裏の共有部分が透けて見える事に気付いた。
各種配管やパイプがあるだけで普段人の入らない場所ではあるが、あちらからも部屋の様子が覗けてしまうのではないか。
薄気味悪くもあり、防犯上でも些かの不安を感じる。
共有部には何処かから浸水したものか、足首が浸かるくらいまで水が溜まっている。
水面に反射した光がゆらゆらと揺らめいて、洗面所を薄蒼く照らしている。
部屋の中に水が入って来る心配はなさそうだが、壁を挟んでいるとはいえ、こんなに水が溜まっていてはよろしくなさそうに思う。
部屋の角には嵌め殺しのブロック硝子が使われた明かり取りがあり、これも通りから覗き込めば室内の様子が覗えてしまうのではないか。
壁は薄いグレー、室内はベージュとグレーのものばかりで鮮やかな色合いのものは何一つない。
いつから降り続けているのかもう思い出せない長雨が、明り取りの窓を伝って落ちてゆく。
テレビの点いた室内で、子供達と妻はソファーで寛いでいる。
僕は独り、薄ぼんやりとした不安に苛まれている。
具体的に何をどうしたら不安を拭い去れるのか判らない。
曇った硝子の向こうで静かに降り続けている雨は、一向に止む様子がない。
近未来もののディストピア映画のような夢。
雨と解像度の低いモニターとくれば「ブレードランナー」みたいなのが思い浮かぶ世代だけれど、そんな洒落たものではなくて、只々漠然とした不安感と落ち着かない気持ちが残った。
死者の助け
長年お世話になった恩師の死、甥の死、両親の死。
様々な形の死について、考えさせられる機会が多くなった。
これは自分が歳を重ねた結果として自然な事であるし、自分の死については割合感傷的にならずに冷静に考える事が出来るが、妻や子の事については、これはもうどうしても考える事を避けたい、という気持ちが強く、ありとあらゆる手段を講じてそこから目を逸らそうとしてしまう。
人の生き死には、病気や事故など、ありとあらゆる理由で予測不可能なものではあるので、絶対に自分が先に逝ける、という保証はないのだけれども。
だからこそ何処かに、残していく人に伝えたい事を言葉にして置いておけるといいね、というような事を妻と話した。
あ、そういえばこの日記には予約投稿という機能があったな、と思い出す。
どれくらい先まで予約しておけるのか知らないけれども、今現在思っている事を書き留めておくには便利かな?などと考える。
遺書や遺言というほどの重々しいものではなく、もし明日突然に終わりが来たら、最近はこんな事を考えていたよ、というような置き手紙程度のもの。
そうしてみると、予約投稿の日を決めておくのが難しい。
何だか図ったように予約投稿される日の直前に不慮の事故に遭う、とかいう無駄に劇的な展開になるのも癪だし、あんまり先延ばしにしても意味がないようにも思うし。
軽めの遺書及び遺言、定期更新。とかにして、決められた期日にどんどんメモ書きを書き連ねるみたいに更新していくのがいいかな。
お買い物メモに、あ、あれも要るんだった、と書き足すような感じで。
上の子が、「どうして死んじゃうの?」とか「死んじゃっても治してもらうから大丈夫!」とか言うようになって、五歳児なりの死生観を語るようになってきたから、尚更あれもこれも伝えておきたい、というような事が増えるのだけれど、でもそれは今じゃなく、もう少し先の、最善と思えるタイミングで話したいのだ。
奥さんに、もしも僕の葬儀で喪主の挨拶をする事になったら、「夫は常々、死ぬのは長いトイレに行くようなものだ、と言っておりました…。あいつ、なかなかトイレから戻って来ないな、便秘かな?くらいの気持ちで見送ってやって下さい。」ていうのはどうかな、と冗談交じりに言っているのだけれど、満更嘘でもなくて、誰でもトイレに行くように、誰でも一度は死ぬのだ、と思っている。
待っても二度と戻って来ない、長い長いトイレ。
別れの言葉としては、ちょっと品がなさ過ぎるだろうか。
子供達には、命は最大限大切に、でも死を畏れるあまり、それに囚われ過ぎて生きる事を楽しめなくなって欲しくない。
自分も、最期の最期まで、目を向けさえすればお楽しみはきっとある、と思いたい。
父や母の死を経験し、それまでそれなりに持っていたつもりの死生観が微妙に形を崩し、新しいものに変化しつつある。
それは父の言った事、母の言った事を、彼らの生前よりもより強く意識するようになったからだ。
父ならこんな時こう言うだろう、こうしただろう、母ならきっとこう言うに違いない、という思いが、何かを判断、決断する時に随分助けとなっている。
これはきっと怒られるだろうな…と思いながら、彼らの言葉に背く事もけして少なくはないのだけれど、それでも一人で考え込んでいた時よりも、少しは多面的に物事を見られるようになったように思う。
以前の僕ならこうしたろうけど、それはきっとお叱りを受けるだろうな、彼らならこうしたかな、それでは別な方法もあるかも知れないな、もう少し考えてみようかな、という具合に。
生前は聞く耳を持たず反発したりして、随分と不義理の限りを尽くしたというのに、皮肉なものだ。
死者の助けを受けている、と言うと妙な感じだけれど、肉体の死とは別に、彼らの精神の一部は僕や彼らを記憶に留めている全ての人達の中に様々な形で存在し、それがあるうちは、少なくとも僕の中には、別な形での彼らの「生」がある。
そんな風に考えるようになった。
僕もまた、家族の中に、そのように何かを残していけたら幸せだと感じる。
その一助として、曖昧で掴みづらい僕の一部を、こうして書き残しておこうと思う。
イショおよびユイゴンみたいな置き手紙、ていうカテゴリーを作ろうかな。
バンシー
三十日の十時を回った頃。
甥が自死したらしい、との知らせを受ける。
何故そのような事になったのか、詳しい事情が全く解らず、困惑する。
甥が成人してからは、日頃から親しく接していた訳ではないが、小さな頃には何度か子守を引き受けたりした事があった。
人懐こくて、「おいで。」と声を掛けると、さも構われるのが嬉しい、といった様子で、何をするわけでもなく、只にこにこしながらいつまでも傍に居た。
丁度今の家の長男と同じ年頃だったからだろうか、その嬉しそうな顔ばかりが思い出される。
事情があり、兄は殆ど男手一つで子供達を育てた。
仕事が忙しく、家で過せる時間はほんの僅かしかない。
父も母も、家で兄の帰りを待つ孫達を心配して、何くれとなく世話を焼いて気に掛けた。
僕が実家を離れてからはあまり顔を合わせる機会もなく、気付けば甥はもうすっかり大人になっていて、家を出て家族ともあまり連絡を取らなくなっていた。
それが近年ひょっこりと帰って来て一緒に暮らすようになり、長い時を経て、また家族の時間が戻って来たようだった。
亡くなる前の母も、孫の帰還をとても喜んでいたのだ。
それがどうしてこんな事に…と思う。
傍で遊んでいる息子の顔と、幼かった頃の甥の顔が重なる。
子供にこうした形で先立たれる悲しみや苦しみはいかばかりか。
驚き。悲しみ。困惑。怒り。後悔。諦め。
どのような慰めも意味をなさない、深い深い暗闇の底へ突き落とされるかのような絶望感。
それらが全て一気に押し寄せてくるように感じる。
気が塞ぐ。
僕でさえそうなのだ。
親や兄弟である彼らは今、どんな気持ちでいるだろう。
それを思うと葬儀へ向かう足取りはどんどん重く、苦しく感じられた。
妻が同伴してくれた事で、いくらかは救われたのだけれど。
兄が気丈に喪主の挨拶をする。
平素と変わらぬように話そうとするが、矢張り声が詰まり、肩が震える。
人前で涙を見せる事など想像するのも難しい父だったから、泣き方だけは教わらなかった。
上手な悲しみ方を教わらなかった。
「小言もあるが、最期は、息子でいてくれてありがとう、来世でもまた親子でいような、次はもっと上手くやろう、あの世で頑張ってまた戻って来い」と送り出したい、と言った。
そうやって自分の気持ちに折り合いをつけ、何とか踏み留まっているのが判った。
どれほど悔しく、どれほど深い暗闇の底に居るか。
遺骨となって、骨壷に収める為火葬場の職員に突き崩されていく甥の頭骨を見て、改めてもう彼はここには居ないのだ、と思い知らされる。
もう、どうする事も出来ない。
あの時ああすれば良かった、こうしてたら何かが変わったろうかと思う事が、もう何の意味もなさないのは頭では解っていても、考えるのを止められない。
自分の息子の遺骨に手を合わせ、一礼する兄の後ろ姿を見る。
親にこんな風に頭を下げさせるなんて、とやり切れない気持ちになる。
亡くなった者を責めたり貶めたりする気は毛頭ないけれど、なんで、どうして、という気持ちは収まらない。
もし自分がこのような立場に置かれたら、こんな風に立っていられるだろうか。
急な話で吃驚させちゃったね、と笑いかけさえしようとする兄に、何の慰めの言葉も掛けられず、「いや、じゃあまた。」と矢張り普段通り返して別れるのが、精一杯だった。
家で変事のあった翌日、甥は亡くなった。
嘆息や泣き声を聞かせてその家の近親者の不幸を知らせるという嘆きの妖精、バンシーの伝説を思い出した。
あの、聴いた者を不安にさせる深い憂いを含んだ哀しげな溜息の正体は何だったのだろう。
甥の葬儀は二月二日に執り行われた。
奇しくもその日、僕の息子は五歳の誕生日を迎えた。
だからこそ、考えずにはいられない。
硝子と会話
二つの夢を見た。
一つ目の夢。
屋上に硝子張りの温室がある、古びた三階建ての家で暮らしている。
知り合ってまだ間もない女性が訊ねて来て、その温室の中で会話をしている。
互いの事をまだよくは知らないが、会話の内容は大変興味深く、とても楽しい。
女性は切れ長な目の上で長い髪を真っ直ぐに切り揃えた長身な人で、感じている事をあまり顔に出さないタイプらしいので、表情からは気持ちを読み取りづらい。
出来ればこの人ともっと親しくなりたいな、と考えながら、バランスゲームのように互いの様子を見つつ、慎重に会話を進めて少しづつ距離を縮めて行く。
階下にはそこで共同生活をしているらしき友人が二人(女性と男性だったと思う)居て、僕達の様子に気付いて邪魔をしないように気遣いつつ、時々クスクス笑い合ったりしながら見守っている。
それが何だか少し照れくさい。
午後の日差しは柔らかで硝子張りの温室はとても暖かく、ゆっくりとした穏やかな時間が流れている。
二つ目の夢。
何処か異国の街。
初老に差し掛かったくらいのふくよかな中年女性と小さな女の子が、その女性の家の玄関先にある階段に腰掛けて話をしている。
二人は親子ではなく、それほど親しくもない。
二人とも小声で静かに、ゆっくりと話す。
暫く会話をした後、女性が花柄のワンピースのポケットから、丁度掌に収まるくらいのレンズ状の硝子のおはじきかコインのような物を取り出す。
表面には何か見た事のない文字のようなものが刻まれている。
それを女の子の掌に乗せ、自分の手を重ねて呪文らしきものを詠唱する。
それまで何処か具合の悪いところでもあるのか少し元気のなかった女の子が顔を輝かせ、声を弾ませて「おばちゃんはすごいね、本当に魔法が使えるんだね!」と言う。
女性は、誰にでもしてあげられるわけじゃないし、望んだ時にいつでも出来るというものでもない。
硝子のコインにも呪文にも本当は意味などなく、その力を発動させやすくする為のスイッチとして利用しているに過ぎない。
誰かの痛みを取り除けば一旦その痛みは自分のものとなり、硝子のレンズを通してそのダメージを逃がしているのだ、と話す。
それでもあまりに大きな痛みは逃し切れずに自分の中に残ってしまうし、そもそも波長の合う相手でなければ何の効果も表さない。
だから魔法というのとは違うよ、と。
女の子にも似たような力があるが、それは母親から受け継いだもので、その母親は何の道具も使わずに人を癒やす事が出来たが、それを知った人達が詰めかけて断り切れず、段々に疲弊して、しまいには亡くなってしまった、という身の上話を哀しそうに聞く女性。
母親に「あなたは絶対に同じ事をしないで」と言われたから、女の子は自らの力を封印して誰にも知られないようにしているのだ、と話す。
女性が女の子の髪をそっと撫でる。
と、そこで「朝だよ〜」と下の子の甲高い声。
夢の大半は消え去ってしまった。
僕にしては珍しいタイプの夢なので書き留める。
二つの夢に共通するキーワードは「硝子」「親しくない者同士の会話」「静かで穏やかな雰囲気」。
何か意味を読み取れそうな気もしなくもないが…。
私事で悲しい出来事があり、それが少々骨身に堪えた。
癒やされたい、という無意識の現れか、とも思う。
溜息
年末に子がインフル羅患などして、気がつけば年も明け、早くも月が変わろうとしている。
時が経つのが早過ぎて、気持ちがちっとも追いつかない。
忙しい、などと言ったら叱られそうな、ぐうたらした毎日である筈なのに、どういう訳だか慌ただしくはあって、色々な余裕がない。
良くないな、と思う。
これでは本当に忙しい毎日をおくっている人達に申し訳が立たない。
ぐうたらするにも作法がある、と思う。
もっときちんとぐうたらしなければ。
先日の話。
雪が降った。
薄っすらと積もった雪。
次の日が晴れさえすれば、跡形もなく消え去ってしまいそうな儚い雪。
けれども、陽の温もりから忘れ去られたような裏通りには、薄く硬い氷となって、幾日も幾日も未練がましくしがみつく。
家は生憎とそんな道路に囲まれた場所にある。
おまけに滑って転ぶには絶妙な坂道で、小さな子二人の手を引いて歩けば、坂を登り切る前に少なくとも三度は転ぶに違いない。
角を曲がり切れずに斜めになりながら滑って行く車を窓から見下ろして、保育園は休ませる事に決めた。
前の日から段々に酷くなる子供の咳が気掛かりな事も手伝って、その週は家に引き篭もって、あれやこれやと世話を焼きながら過ごす。
少し具合が良くなってくれば子は退屈を持て余すので、週末には買い出しに連れ出した。
帰ってからまた夕餉の支度をするのも億劫で、出来合いのものを買い込んで来て、皆でつついていた。
子供達はいつも通り騒がしくじゃれ合いながら食事をしている。
僕と妻も、何かを話していたと思う。
何を話していたのかは思い出せない。
おそらくは、最近は野菜が高くて困るだの、遅い時間にスーパーに行くと寿司が安く買えて助かるだのといった、とるに足らない事だろう。
突然、女の声がした。
それはあまりにもはっきりと、食卓からごく近い場所で聞こえたので、妻と顔を見合わせて驚くのに、妙な間が出来た。
二人ともすぐに反応する事が出来なかった。
それから妻が席を立って僕に玄関を検めて来るよう促し、珍しく怯えた表情になって子供達を庇うように傍に立った。
玄関は勿論施錠されており、何の異常もなかった。家中の何処にも変わったところはない。
妻は自室の方から聞こえたと言い、僕も自分の部屋の前辺りから聞こえた様だと思った。
それは猫の鳴き声にも、悲鳴にも似た、女の大きな溜息だった。
「はぁぁぁ〜〜ん」
絶望と強い諦めを含んだ様な、いつまでも耳に粘りつく様な、間延びした嫌な響きだった。
溜息の癖に妙に主張が強い。
はっきりとし過ぎている。
騒がしく食事をしていた最中の事でもあり、ほんの一瞬聞き流して箸を止めずにいたのだけれど、それでも顔を見合わせた瞬間、二人ともはっきりと異常な事が起きたのだ、と認識した。
別な階から聞こえた可能性や、外から聞こえたのかも、とも言い合ったが、二人ともそうではないと解っていた。
そんな遠くから聞こえたとはとても思えなかった。
すぐそこで声がしたのだ。
締め切った窓の外や、厚い壁を通した別な階などからではけしてない、手の届きそうな距離でこその生々しさがあった。
だからこそ妻は危険を感じたのだろう。
妻は、先程帰宅した際に施錠を忘れて誰か知らない人が家の中に入って来てしまった、しかもそれは普通に話の通じる相手ではなさそうだ、と思ったらしい。
僕は最初、外から聞こえたのだ、と思い込もうとしたのだろう。
家の中から家族以外の声がする筈はない。
しかしその考えはうまく行かなかった。
怖いという気持ちよりも、何だか釈然としない居心地の悪さみたいなものが強くて、何か上手く説明をつけて「なーんだそんな事か」と言いたいのだろう。
けれども自分の知覚を疑ったり否定したりするのはなかなかに困難だ。
上の子が、「もうその話やめてー!」と怯え出したので、大丈夫、怖くないよ、と笑い合ってそのまま食事を続けた。
上の子もその声をはっきりと聞いていたからだろう。
僕はすぐに何だか可笑しくなってしまって、妙な事があるといつもそうなのだけど、一生懸命理屈をつけて何とか自分に納得のいく説明をしようと試みるのだけど、結局うまくいかないから、もう笑うくらいしか出来る事がない。
それでへらへらしながら「何だか不思議な事があるね。こんな話、きっと誰に話しても信じて貰えないね。」などと言いながら笑っていた。
それでもそのまま忘れてしまうには何だか惜しい気がして、ここに書き残しておく。
一月二十八日、九時半頃の事である。