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Happy Halloween

僕も妻も、パッと遊ぶ、とか、憂さを晴らす、とか、そういう事をあまりしない。

二人とも筋金入りのインドア派だし、呑んだり打ったりの派手派手しい(パッとした)趣味もないし、せいぜい家で映画を観るくらいが日々の楽しみで、それで大した不満もない。

しかし時々これでいいのか?と思わなくもない。

僕はともかくとして、妻は楽しめているだろうか。

僕よりもまだ随分と年若いのだし、こんな油気の少ない、寂びた物静かな日々で、ちょっと物足りなくはないか?

そんな事も少し頭を過りつつ、日本でも段々とメジャーな季節のイベントとなりつつあるハロウィンを、自分たちなりに楽しんでみようかと考えて、ハロウィンメイクなるものを施して撮影会でもしてみよう、という事に。

普段はあまり使わないような色を使ってみたり、オブラートやティッシュを裂いたのを腕に貼って、水彩絵具で傷メイクをしたり、フェイスペイントをしてみたり。

それで何処かに繰り出すというようなこともなく、写真をパシャパシャと撮って、オシマイ。

何じゃそりゃという感じがするかも知れないけど、それなりに楽しんではくれたように思う。

 

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写真を見ていたく気に入った姪っ子が、後日私にもして欲しいと訪ねて来た。

彼女はメイクを施してあげたらしっかりと夜遊びに繰り出して、朝まで楽しんだみたいだけれど。

 

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ハロウィンの日に妻が子供たちを保育園へ送って行ったら、他の子たちが皆仮装して来ていたとかで、「うちの子たちは普段から骨格標本みたいなパーカーやTシャツばかり着てるのに、今日に限って普通の服を着せてしまって残念…。」と言うので、「今日は人間の子の仮装をして行ったという事にして、明日からまた骸骨に戻ろう。」などと話した。

 

 

 

 

 

 

くろいしと

長男が時々興味深い事を言う。

次男が風邪をひいて体調の良くなかった時だったか、昼寝のタイミングを逃して薄暗くなり始めてからしきりにぐずり出したので、家の中を静かにするため長男を外に連れ出した。

家を出て駐車場の横を通り過ぎる時、突然ハッとした顔で後ろを振り向くと、上の方を指差して「どしてのぼってるのー?あのしとなにしてるー?」と言う。

指差したのがマンションの壁面だったので、工事の業者が何か高所作業でもしていたのかと思って見てみたが、誰も居ない。

「誰か居た?」と訊き返すと、「うん、くらいの、まどのそとにすわってた。」と答え、困惑した様子で先程指差した方をちらちら振り向いて気にしている。

店内の明るいコンビニに着く頃にはいつも通り元気で、僕もそれ以上は何を見たのか訊かなかった。

それはもう数ヶ月前の出来事で、帰宅してから妻に、こんな事があったよ、と話した切り、すっかり忘れてしまっていた。

最近になって、珍しく家族全員で出掛け、暗くなってから帰宅する事があり、件の駐車場で車から降りた途端、長男が「うわっ」と驚いた様子で後退り「黒い人が走って行った」という内容の事を訴えた。

四つん這いで両手を大きく前後に振り、獣が駆けて行く時のような仕草をして、「こうやってはしってったの…くろいしと。」と話す顔は明らかに怯えていて、想像ではなく、彼が今しがた何かを見たのは確かなように思えた。

「黒猫じゃない?」と言ってみたが、首を振って「おっきーなくろいひと。ゴリラ?」と言う。

「ゴリラはいないと思うよ…。」と答えてから、以前同じ場所で、窓の外に人が浮いている、というような事を言っていたな…というのを妻と同時に思い出し、(この子には何が見えてるんだろうね…?)と目配せをする。

もっと小さな頃には、少しも怯える様子なく高層階の壁面を指差して「どしてあんなとこにすわってるの?あぶないよー?」と不思議そうに訊ねたり(勿論誰も宙に浮いたりしていない)、「今あそこの木の上におじさんがいた」というような事を話す事があったが、「車の陰から四つん這いで走り去った黒い人」の一件は、それまでと違って彼にとっては少し怖い体験だったらしく、暫くは「くろいしとまたくる?」と不安そうな顔で訊いてきたりした。

 

そして今日。

夜になって妻が次男を寝かし付ける間、居間のテレビでフィギュアスケートを見ていた長男が突然妻の元へ行き、「ままゆびださないで!」と猛抗議。

妻が話をよく聞くと、「壁に寄せてある薄型テレビの上から指が出て来て怖かった」らしい。

そのテレビの置いてある壁の向こうの暗い部屋で一人書物をしていた僕も、そんな処から指が伸びてきたんじゃ落ち着かない。

 

あまり面白がって根掘り葉掘り聞き過ぎるのも良くなかろうと抑えているけれど、こうした現象は今の時期特有のものかも知れないし、また何かあればその都度書き留めておこうと思う。

 

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動物園

金曜、保育園の遠足の日だったのだけれど、それには参加せず家族で動物園へ自主遠足する事に。

僕の体調の所為もあって、最近では予定を組んでもその通りに行かない事も増え、時々はこうして子供達を行楽へ連れ出したいと思いながらなかなか実行には移せないでいた。

この日は何とか皆で出掛けられてホッとする。

 

長男は前にも一度連れて来た事があるのだけれど、まだ小さ過ぎて途中で疲れて泣き出してしまい、あまり楽しい思い出にはならなかった。

もう随分大きくなって脚もしっかりして来たし、二人とも動物の出て来る図鑑や番組が大好きだから、きっと喜ぶだろう。

朝から妻が張り切って握り飯等色々と用意してくれたのだけど、まだ幼い兄弟二人のペースに合わせていると出掛ける支度には驚くほど長い時間が掛かる。

動物園に着いたのはもうお昼過ぎで、すぐにベンチを探して、子供達は口の周りを米粒とケチャップだらけにして、それでもいつもとは違った外での食事を楽しんでいる様子。

時々二人とも驚くほどすばしっこくこちらが予想もつかない行動に出るので、下の子は自由に走り回りたそうなのを殆どベビーカーに乗せたまま、上の子もしっかり手を繋いで園内を廻る。

二人ともきょろきょろと見回してはあれやこれや指差し、歓声を上げて目を輝かせている。

長男は行楽の後で、時々それを思い出しては「楽しかったね、また行こうね」等と言うようになったので、それを聞く度、本当は今のうちに、もっともっと色々な場所に沢山連れて行ってやりたいと思うのだけれど。

 

帰りの車に乗った途端、二人とも電池が切れたみたいに眠ってしまった。

記憶の何処かに、今日のことがほんの少しでも残ればいい。

沢山沢山、色々な出来事の欠片が組み合わさって、いつか二人の心に、鮮やかなモザイク硝子のようにきらきらと豊かな光を投げ掛けてくれますように。

 

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アボカドの唄、後日談

 

urone.hatenablog.com

 

 後日、妻が「歓喜の歌」の歌詞を調べて教えてくれた。

 

花さく丘べに いこえる友よ
吹く風さわやか みなぎるひざし
こころは楽しく しあわせあふれ
ひびくは われらのよろこびの歌

(岩佐東一郎作詞・ベートーベン作曲/文部省唱歌「よろこびの歌」)[参照サイト] 

 

薄暗い部屋の片隅で誰からも気に掛けられず、辛うじて生き存えてきたアボカドが、初めて陽のあたる場所に出て、そよ風に吹かれた時の心情を表すのに、あまりにも相応しい内容で、もうこれはあのハミングはこのアボカドの仕業に違いない、と二人で頷きあった。

 

 

 

 

 

歓喜の歌

子が早くに寝静まった日には、僕の部屋で妻と映画を観る。

昨日も二本ほど観終え、それぞれの部屋に別れてパソコンに向かった。

部屋を暗くしたまま暫くパソコンの画面を見ていると、ごく微かな音量でハミングが聴こえて来るのに気付いた。

知らずにブラウザで何か再生していたかと思って確認してみたが、そうではない。

どこか懐かしい感じのする、聞き覚えのあるメロディだった。

これは何の曲だったろう…とその声に耳を澄ませた途端、歌声は僕のすぐ後ろに迫って来た。

微かな吐息を感じるほど近く。

ほんの僅かな間だったが、まるで後ろから肩に手を掛け、耳許で囁かれているように感じた。

今にも首筋に長い髪先が触れそうな気さえする。

驚いて振り向くと同時に、歌声はかき消すように止まった。

高く澄んだ女性の声で、ゆっくりとした静かな歩調で、心地よい夜風にあたりながら散歩を愉しんでいるような、そんな歌い方だった。

今も耳に残っている。

驚いて思わず振り向いてしまったけれど、そうせずにもう暫く聴いていたかったと思わせるくらい、柔らかで耳触りの好い声だった。

妻の部屋へ行って、今鼻歌を歌っていなかった?こんな感じのメロディーなんだけど…と訊ねると、それはベートーベンの第九、歓喜の歌だと言う。

不思議と怖いとか薄気味悪いとかは少しも思わず、ただいつまでも耳に残る歌声が気になって、少しでも近いものが聴けないかと動画サイト等で探してみたが、どれも違う。

探そうとすればするほどあの歌声が遠退くようで、探すのはやめにした。

 

次の日になって、ベランダに出て一服した後、部屋へ戻ろうと振り向くと、暖かな日差しを浴びて、アボカドが葉を揺らしている。

そのアボカドは、食べ終わったのを僕が面白半分に水栽培し始めたもので、日の当たらないキッチンの片隅でひょろひょろと茎を伸ばし、弱々しく潮垂れていたのを、妻が気の毒がって、昨日鉢に植え替えをしてベランダに出したのだった。

 

アボカドはか細いながらも、初めて浴びるお日様の下で、いつになく葉をぴんと広げ、ゆらゆらと風に揺れながら歓喜の歌」をハミングしているように、僕には見えた。

 

 

 


上の子も下の子も、小さな子は皆そういうものなのだろう、高い熱をよく出す。
判ってはいても、小さな身体を震わせて泣き、荒い息をして苦しそうにしているのを見ると、何とかならないものか、代わってやれたら、と考えてしまう。
何としても適切に対処したいから調べずにいられないし調べれば調べるほど不安材料も増える。
それでも知らずにいる事ほど怖い事はないと思うから、今日もやっぱり目をしょぼつかせて調べ物をしている。


数日前に保育園で蚊に刺されて耳が倍ほどの大きさに腫れたとかで、耳に冷感シートを貼って帰って来た。
耳の腫れは一晩で治まり、偶には大きな耳も可愛いね、等と呑気な事を言っていたのだけれど、次の日になって背中に大きな浮腫が現れた。
それから急に39度を超える高熱が出て、浮腫は場所を変え次々と現れ、咳が酷くなって少しも眠れない様子。
日曜だったので診療して貰える病院を探して駆け込み、気管支炎を起こしているとの診断でネブライザーを借りる。
熱が高くなる夜間を処方された解熱剤で何とか凌いでいるが、なかなか良くならない。
頼みの綱のネブライザーは驚くべき爆音で、一番使いたい深夜には近所迷惑でとても電源を入れられない。
深夜から明方迄が一番咳が酷くなるというのに。


熱で口が不味くなるのだろう、林檎を摩り下ろしても凍らせた葡萄を口に入れてもすぐに吐き出してしまう。
固形物をろくに摂っていないから流石に腹は減るようで、この際欲しがる物なら何でも、と求められるままに動物ビスケットを手渡してみたが、口に入れるとやっぱり悲しそうな顔で吐き出す。
ふらふらと起き出して来て朦朧とした表情で妻の脚にしがみついて窮状を訴える様子が気の毒でならない。


子の様子を見ていて色々と思い出す事があった。
僕もよく高い熱を出す子供だった。
酷い熱が何日も下がらなかった時の事。
口に入る物は全て紙屑のようなくしゃくしゃとした食感に感じ、味は殆ど判らなかった。
しまいには水を飲んでも吐くようになり、今にして思えば酷い脱水症状が起きていたのだろう、シンプルだった筈の見慣れた照明器具が何時の間にか豪華絢爛なシャンデリアに変わっていて、不安げに見守る母は僕を取り囲んでずらりと並んでおり、「どれが本当のお母さん?」と訊ねていっそう母を不安がらせた。
折角用意して貰った摩り下ろし林檎も、まるで口にゴミを放り込まれたみたいに感じてすぐ吐き出してしまったように記憶している。
母があれこれと手を尽くしてくれて、小さな葡萄を一粒づつ唇の上で搾ってくれた。
小さな緑色した宝石から落ちてくる雫はそれまで口にしたどんなものよりも甘く冷たく、乾き切った喉に心地好かった。
大袈裟でなく、その数滴があったから生き延びたのだ、と思う。
それまでもそれからも、僕は何度もそのような状態になったから、親の身になってみれば随分酷な事だった。
これも自分が親になって思い知った事の一つだ。


僕は本当に心配ばかり掛けていた。
いい歳になってからも色々と心配を掛け通しで、多分それは母が最期を迎える瞬間まで続いたのだろう。
母は強い人だったけれど、強くならなければならなかったのだ、と今にして思う。


僕と妻も、やはりそのようにして強くならなければ。


母が搾ってくれた葡萄の味を、今も憶えている。
葡萄の実は矢張り食べられなくて、勿体無いね、と笑いながら母はそれを時々自分の口に運んでいた。
葡萄は実よりも皮により近い部分の果汁が一番甘い。


寄り添って、不安がらせないように「大丈夫だよ」と笑い掛けてやり、あの時の葡萄の一滴のように、僕も子にしてやれることを何か見つけ出せる筈だ。
「子供はね、親にして貰った事は、人にもしてやれるようになるんだよ」という母の言葉を思い出す。








 


もう随分とましになったのだけれど、先々週だったか、酷く腰を傷めた。
子供達を保育園へ迎えに行き、金曜だったから抱え切れないほどの荷物を自転車のハンドルに掛け、前と後ろに子を乗せてまるで曲芸師の一家にでもなったような緊張感で、慎重に、でもふらつかないような速度を保ちつつ、なるべく車通り人通りの少ない道を選んで遠回りして帰る。
帰ってすぐに子供達の手を洗いおむつを替えて水を飲ませ、腹を空かせて騒ぎ出すのを見計らってそれぞれの口にパンなどを放り込み、下の子が洟を垂らしているのに気付いてテッシュを手に取った。
テッシュは子が悪戯で全部箱から出してしまっていたので袋に入れてあった。
切れ端がふわふわと床に落ちる。
子が拾って口にしないとも限らないのですぐに腰を折って拾った。
背中を伸ばそうとした瞬間、背中に刺されたような痛みが走って、そのまま倒れ込んでしまった。
暫くは息をまともにするのも困難なほど痛くて、床に伏せたまま(先にテレビを点けておいて良かったな…)とか、(子供達に少し食べさせた後で良かった…)などと考えていた。
後一時間か二時間ほどで妻が帰宅する。
子供達はきっとそれまで静かにテレビを観ていてくれるだろう。


それから数日、立ち上がる事はおろか、寝返りを打つことさえ出来なかった。
トイレは、初日の晩に四時間掛けて洗面所まで這って行き、それでも僅かな段差が越えられず、トイレにもバスルームにも入る事が出来なかった。
洗面所の床に倒れたまま更に一二時間懊悩した挙句、恥を忍んでペットボトルに用を足した。
この調子では明日もきっと立ち上がれないだろうと考えて、尿瓶を注文してもらう。
これまでも何度か酷いぎっくり腰の経験はあるけれど、トイレには這ってでも行って、何とか人の手を借りずに用を足していたから、今度のは格別に酷い。
尿瓶は次の日すぐに届いたけれど、いざ使おうとすると巧くいかない。
もう諦めて使ってしまおう、と気持ちの上では覚悟を決めている筈なのに、身体がそれを拒絶する。
内なる声が、(どうなってもいいから自分でトイレに行け)、という。
チィさんでさえ、あの小さな痩せた身体でふらつきながらも、死ぬ間際まで自分で用を足したではないか。
二日目も矢張り何時間も掛けて床を這った。
芋虫の方がまだ早く進むだろう、というような速度でしか動けないから、洗面所へ着く頃には汗だくで息も絶え絶え、床に頬をつけて一息ついていると、何だか自分の姿が滑稽に思えてくる。
しかしここで笑い出したら気が遠くなるほど痛いだろうから、出来るだけ気持ちをニュートラルに保つ。
どんなに痛くともぎっくり腰で死んだという話はあまり聞かない。
何としてでも自分でトイレに行く!と決めて、アルミのバケツをひっくり返し、それを支えにして少しづつ姿勢を起こして行く。
体勢を変えようとする度背中が硬直するような強い痛みが襲って来るのを、必死にバケツにしがみついて痛みの発作が去るのを待つ。
もうこれ以上もたついていたら漏らしてしまう、という段になって、やっとこ意地で立ち上がって用を足せたが、痛いのと気が抜けたのとで目の前が真っ白になった。
それでも幾許かの矜持を取り戻し、用も足せたことで気分がましになったけれど、もう暫くは子の送り迎えも無理だろうし、おむつを替えてやる事も、食事を用意してやる事も出来ない。
どれくらいの時間で元通りになるのだろうかと不安になる。
妻に数日仕事を休んで貰わなくてはならないし、何をするのにも予め手順を決めて準備しておかなくてはならない。
次の日もその次の日も、トイレへ行く以外は殆ど身動ぎもせず、息を殺して過ごした。
腹も減らず、喉も然程渇かない。
何処かが痛いというだけでこんなに腹が減らぬものだとも、トイレへ行く回数が減らせるものだとも思わなかった。
何度かは兄や友人に頼んで、保育園へ迎えに行ってもらった。
硬いマットレスを買ってきてもらった。
四日目にトイレに立った時、こんなにも苦労して立ったのだからと、立ったついでに出来る事は全てしてしまいたくて、歯を磨き、シャワーを浴びた。
洗えるのは手の届く範囲だけで、しかも壁に凭れて何とか立っている状態だからかなり限定されるけれど、ここまで来てやっと何とか自分が芋虫ではなかったと思い出せた。
ずっと以前に使っていた松葉杖をついて妻の肩を借り、少しの間なら食卓に着いて一緒に食事をする事も出来るようになったし、一週間ほどで杖がなくとも立てるようになった。
僅かな間に片脚で立って、ゴムの緩いトランクス限定だけれど自分で着替える技を編み出したし、出来るだけ短い時間で痛みの発作をやり過ごすコツも学んだ。
不自由なりに色々と適応していくのが面白い。
もう二度と身動きする事が叶わぬのではないかというような気持ちにさせられるような、打ちのめされるような痛みだったけれど、助けてくれる人たちが居てくれたおかげで、何とかやり過ごす事が出来た。
鎮痛剤がたっぷりと手許にあった事も心強かった。


出来ればもう二度と体験したくないけれど、本当に突然で、全く予測する事は出来なかったし、危うい感じすら抱いていなかった。
きっと他の災難もこんな風にやって来るのだろうな、などと考えながら過ごした。
床に這っている時にしか気付かなかったであろう事柄もあるし、貴重な体験ではあった。


もう二度と御免だけれど。