子は相変わらず保育園での風邪の洗礼を受け続けている。
平穏に続けて通えるのは二三日のことで、
四日目以降になると必ず咳をしたり洟を垂らし始めて、発熱する。
僕や妻も煽りを食って、最近ではうちではいつも誰かが風邪をひいている、
というような有様だ。
咳が止まらなくて眠れない辛さは身に沁みて分かるから、
小さな身体を震わせるようにして泣きながら起きてくるのを見るのは辛く、
早く丈夫になっておくれ、とばかり考える。
僕も小さな頃は病気がちで床に臥せってばかりいたから、
こんな風に随分と両親に心配をかけたのだろうと思う。
そんなことさえ、今になって漸く判る。
知った風な気でいたことが、親の立場になってみるとまるで違う。
あとのことはどうだっていいから、病気にならず、事故に遭わず、
生きていて欲しいとだけ思う。
毎日毎日、朝から晩まで顔をくしゃくしゃにして泣いたり笑ったり、
思い切り叫んだりでんぐり返ししたり、その小さな背中を見ながら、
父もこんな気持ちで僕の背中を見ていたのだろうかと考える。







 


子が風邪をひいた。
保育園が始まると次から次へと色々あるよ、と聞いてはいたけれど、早速。
すぐに病院に連れて行ったが、夜半から明け方にかけて熱が上がり、
眠ろうとすると詰まった洟が気道を塞いで息苦しいのだろう、
何度も苦しそうに咳き込んで、泣きながら起きてくる。
喘息を患った経験があって良かった、と、本当に初めてそう思った。
息苦しい時にどうして欲しいか、どうすれば少しは楽になるか、
何処に触れられたくないか、何が欲しいか、すぐに判断して対処することが出来る。
呼吸がままならない苛立ちや辛さを、そっくりそのまま我が身の事として感じる事が出来る。
苦しかった幾年かに、突然ぽんと意味が与えられたような、不思議な気持ちになる。
今理解する事が出来なくても、もしかしたらある日突然、
こうして意外な形で意味を与えられるものが、他にもあるかも知れないと思えてくる。


仰向けは気道が塞がり易く、息がし辛いので
後ろから抱きかかえるようにして、ゆっくり身体をゆすって落ち着かせる。
洟を出来る限り除去して少量授乳させ、
その日は妻が抱いたまま座椅子に座る格好で眠った。
朝になると熱も少し下がって随分楽そうにしている。
妻が病院に連れて行き、吸入等の治療を受ける。
同じ様な事を繰り返して数日が過ぎた。
通い始めた保育園は慣らし期間を殆どお休みにしてしまった。
その間に妻の育休が明けた。
妊娠中から何かと辛く当たった口煩い上司が今月一杯で退職するとのことで、
幾分は気が楽になったが、初日は緊張した面持ちで出掛ける。
僕は僕で、日中をまだ回復しきっていない子と二人きりで過ごす訳で、
自分の食事も忘れてしまいがちな日が続く。
どうなることかと思ったけれど、予想していたよりは泣かず、
母親が傍に居ない不安は、普段はあまり見せない僕への後追い等から多少感じられるけれど、
近くで絶えず話し掛けてさえいれば御機嫌で遊んでいる。
子と二人で通院もし、随分と長い時間待合室で待たされたけれど、
泣きじゃくる他の患者さんの保護者さんから羨まれるくらい大人しく待ち、
泣いて嫌がって大変だったと聞かされていた吸入も何とか最後まで受けて、
病院の方に褒めてもらって御機嫌で帰宅した。
お薬の影響もあって、一日中何度もおむつ替えをして数度シャワーを浴びさせ、
大量の洗濯物をして後追いしてくる子を宥めながら洗濯物を干す。
食欲は旺盛でバナナやリンゴ、芋や野菜を潰して弱火でじっくり焼いたお焼きを、
にこにこしながらよく食べる。
転んでも滅多に泣かず、無痛症じゃあるまいな、というくらい痛みに強い。
僕の父も滅多に痛みを面に出さない質だった。
僕が幼い頃に、悪戯して開いたまま床に置いた大きなホッチキスを踏み、
足の裏に深々と刺さったホッチキスの針を、顔色も変えずに引き抜き、
ちり紙で血を拭いながらゆっくりと僕を見て、静かに
「危ないからこれをこうやって置いてはいけない」と言った。
どんどん赤く染まるちり紙を見ながら、これは酷く叱られるに違いないと思っていた僕は、
どんなに強く叱られるよりも、その静かな一言を肝に銘じたように思う。
随分と幼い頃の記憶の筈だが、よく憶えている。
その後沢山の刃物や機械工具を扱う職場に就いた所為もあってか、
無意識に足許に置く物に気が行く。
尖った物、硬い物が、誰かが素足で歩く場所にあるととても気に掛かる。
最近では僕が、子が知らぬ間に移動させたミニカーや、リモコンを踏む。


叱る事の難しさについて、夫婦でよく話す。
父や母にも迷いはあったろうか。
年老いて小さく、日増しに細くなるという父を想う。
何度か聞かされた、「お前も子を持てば解る」という言葉の意味が、
漸くほんの少し、腑に落ちかけている。






 


慣らし期間中で非常に短時間という事もあってか、
保育園に通い始めた子が驚くほどに楽しげで、
母親の姿が見えなくなった途端に酷く泣き出すのじゃないかと心配していたのが
気抜けしてしまうほどで、迎えに行ってもまだ帰りたくなさそうにするらしい。


通い始めて二日目で、新しいお友達に早速御挨拶(頭突き)をし、
額に小さく切った冷却ジェルシートを貼ってもらって戻って来た。
この御挨拶頭突きは僕も奧さんも何度かされたけど、相当に痛い。
本人は親愛の情を示してでもいるつもりか、挨拶の気でいるらしい。
鼻っ柱や頬骨にガツンガツンとやられてあんまり痛かったので、
「駄目!」と叱ったら、目に一杯涙を溜めて酷く傷ついた顔をして、
挨拶をしてやったのに何故こんな理不尽な目に遭うのか全く解らない、といった様子である。
本当に何度止めても、にこにこと嬉しげに頭突きを繰り返すので、
こちらはこちらでよけるのが上手くなってきた。
親である私たちはそれでいいが、園で他の子にしたらどうしよう、
という不安が現実のものとなってしまった。
何でこの子は誰に教わりもしないのに、こんなに頭突きばかりするんだろう…
と首を捻っていたら、歳が十離れている兄によると、僕にも全く同じ癖があったそうだ。
的確に急所を狙ってくるので、出来るだけ腕を伸ばし、
頭突きが届かないようにして抱かねばならず、
子守をさせられる羽目になると随分酷い目に遭ったとのこと。
そう言われてみれば、兄が僕を抱いて写っている写真に、
髪を逆立て口をへの字に引き結んでカメラを睨み付ける僕を、
腕を精一杯伸ばして抱いた兄が痛そうに片目を瞑っているのがあったのを思い出した。
自分では全く憶えていなかったので、こんな妙な癖まで遺伝してしまうものなのか、
と驚くと同時に、突然始まった頭突き癖の件、腑に落ちた感じもする。


しかし不幸にして僕に似てしまったのなら、
それを僕が叱りつけるというのも何だか気が引ける。
彼にとっては随分と理不尽なことだろう。





 


 


ここ暫く、子の四月からの保育園通いの支度などに追われて落ち着かない。
かなり無理をして、とうとう電動アシスト自転車なるものを買った。
自転車のハンドルに取り付けたシートに子を乗せるので、
幼児用の丈夫そうなヘルメットを探して買った。
雨が降れば寒かろうから、防水のレインカバーを買った。
盗難を畏れて、頑丈な鍵を買った。
随分高い買い物になったけれど、後ろから誰かが背中を押してくれているようで、
どんどん重くなっていく子を乗せていても、移動が随分と楽だ。
それはよいのだけど、通う保育園の周りにはまともな駐輪場がない。
行きは奧さんが乗せて行き、帰りは僕が自転車を回収して
そのまま子を迎えに行く算段だったのだけど、
駐輪禁止区域に長時間放置しておくわけにもいかず、
お高い電動自転車も結局は迎えに行く時にしか役に立たないかも知れない。
それで今度は簡易な折りたたみ式の軽量バギーを買った。
それを使って行きは奧さんがバスで連れて行き、
帰りは僕が自転車で迎えに行く。
バギーは奧さんが折りたたんで持って帰る。
何かと物いりで、何だか保育園にやらない方が、
もしかしたら色々な面で負担が少ないのでは… 等と考えてしまう。


園では「白い上履きを用意せよ」とのことであちこち探し廻ったが、
子の足に合うようなサイズの小さな物はなかなか売っていない。
薄い水色や薄茶のものを見掛けて、これで良かろうと思ったが、
確認を取ると「白でなければいけない」と言う。
何処のメーカーならあるのか、何処で買えるのかと訊ねると、
少しお高いメーカー品と、随分と遠くの店を教えてくれた。
すぐにサイズが合わなくなって、おそらく数ヶ月も使えないであろう物に
大人の物と変わらぬ値段を出すか、長時間電車を乗り継いで
遠くの店まで探しに行かねばならず、誰が、どうして、
白のバレエシューズでなければならん、と決めたのか、
首根っこを押さえて問い詰めたいような気持ちが沸々と湧き上がってくるが、
先々お世話を掛けるのに出だしからこんなことではいかん、と思い直して、
素直に白のバレエシューズを探そう、と決めた。
はあ。


そんなこんなであちこち出向いているうちに花粉真っ盛りの季節になった。
98%花粉をカットするとかいう謳い文句のゴーグルを見付けて買った。
マスクをしても曇りにくく出来ていて、これで目の痒みが少しは楽になれば
洟を垂らして泣きながら自電車を漕がなくても済む。
そろそろ耳鼻科に行って薬も処方してもらわなければならない。
風邪はもうすっかり快癒したと思うのだけど、
そのまま花粉症の症状が出始めて相変わらず洟をすすっているので、
何だか気持ちがすっきりとしない。
目を擦ると粘りけのある涙が出て嫌な感じがする。
愚痴を零しても良くなる訳じゃないが、何とかして少しすっきりしたい。






 


奧さんが少し鼻をぐすぐすさせているな、と思ったら軽い風邪で、
彼女は元来丈夫な質なので、どうということもなく熱も出さずに済んだのだけど、
今度は子が少し鼻を垂らすようになって、それも熱が出たりせずにすぐに良くなって、
僕はというとすぐに人の風邪を貰い受けては酷く拗らせ
なかなかに手放さない質なものだから、普段から気をつけてはいるのだけど、
今度もやっぱりしっかりと貰い受けて阿保みたいに拗らせている。
元の二人がどうということもなく受け流した物が、
どうすればここまで拗れるのか、我ながら呆れてしまう。


そんなこんなでここ数日臥せっているのだけど、今日、ちょっとした騒動があった。
朝から血圧が妙に高くて頭がぼうっとしている。
喉痛、頭痛、腹痛、発熱と出て来る症状をその都度色々な薬で紛らわせ何とか凌いでいるので、
身体の方でもあれこれ対応に追われて混乱するのか、矢張りいつもとは少し様子が違っている。
降圧剤と脈拍を調整する薬を飲んで幾分落ち着いたが、
仮眠から目覚めてもまだ半ば夢の中に身を半分忘れて来たような具合がする。
妻が用事で出掛けたので、もそもそと起き出して子に芋など食べさせて朦朧と留守番をしていると、
玄関の方でガチャガチャと物音がする。
子を抱いて見に行ってみると、ドアポストから乾涸らびたような白い指が伸びて来て、
ドアの内側を必死に引っ掻いている。
まだ夢を見ているのかと思ったけれど、指はいつまでも引っ込まない。
呆然と暫く眺めていたが、あんまりしつこいのでドアを開けて何をしているのか訊ねてみた。
一階のロビーで何度か見掛けたことのあるおばあさんが驚いた顔で立っている。
「何をしているのですか」との問いに「あなたこそここで何をしているのか」と言う。
「ここは私の家です」
「いいえ、ここは私の家です」
「あなたの家は別な階ではありませんか?表札だってあなたの名ではないでしょう」
「あらあら、こんなに物を運び込んで… いつの間に…?」
会話の内容もまるでかみ合わなくて、益々悪い夢を見ているようだ。
表札を見ても、玄関の中を見ても、ここは私の家だと言い張って利かない。
落ち着いて「おばあさんのおうちは何階ですか」と問うと
「そんなことわからないわよ」と得意げな顔で即答される。
抱いた子が重くて段々に腕がだるくなるし、下がりかけた熱がぶり返しそうだ。
子が退屈して今にも暴れ出しそうだし、
おばあさんはずんずん家の中に入って来ようとするしですっかり困り果てていると、
「寒空の下、子が気の毒だから」と、一時的にここに居てもよい、と許可をして
「私が誰それに事情を訊いてきてあげる」と悠然と去って行った。
気になって、急いで部屋着から着替え、子を抱き直し後を追ったが、
多分別な階で同じことを繰り返しているのだろう。
もしかしたら出掛ける度に家を忘れて、
各階総当たりして何とか自分の家に辿り着いているのかも知れない。
以前も、明け方近くゴミ出しに行った帰りに呼び止められて何か訊ねられた。
身振りで後を付いて来いと言うのでゴミ捨て場まで引き返すと、
何を訊ねたかったのか忘れてしまったようで、独り言のように
「困った困った。これじゃ解らない…」とゴミの山を見て首を振りながら何処かへ行ってしまった。
解らないのはこちらの方で、何だかぽつんと取り残されて妙な気持ちになった。


背筋のシャンとした身なりのよい、品の良さそうな老婦人で、
きっと誰かの大切な母であり、誰かの大切な妻であるのだろう、
またはそうであったのだろう、と思うと、
何となく薄ら寂しいような、切ないような気持ちになる。





 


今日で一歳になった。
あっという間だったような気もするし、そうでもなかったような気もする。
機嫌が良いと、にこにこしながら仁王立ちしている様子が度々見られるようになった。
伝い歩きをするようになり、ちょっと目を離すとソファーによじ登って
お向かいのビルを睥睨して得意げに立っている。
僕に似たのかあまり気は長くないようで、
時々癇癪を起こしてはおもちゃを投げ散らかし、
雄叫びを上げながら物凄いスピードで家中を這い回る。
何か制止しなければならないような場面でも、
一生懸命人の言葉で説明なり説得なりしてみたところで、まだ一向に通じない。
試しに母猫が仔猫を叱る時にするように「シャーッ」とやってみたら、
少し驚いた顔をして熱いものに伸ばした手を引っ込めた。
まだ人より猫に近いような気もする。
チィさんが好きだった窓辺がお気に入りのようで、
飽きずに窓の外を眺めている。



四月からは保育園にやることが決まった。
母親が少し背中を見せただけで泣き喚くような有様なので、
預けるのは甚だ不安である。
きっと何とかなるのだろうけれど。





 


子を風呂に入れて、結局いつも水浸しになるから
自分も手早くシャワーを浴びて、というのが日課になった。


目を閉じて頭の天辺から熱い湯を浴びる。
先程迄の喧噪が消えて水音だけになった瞬間、ふと、
結婚し子が出来て家族を持ったというのは全て夢で、
浴室から出るとそこには誰も居ず、家の中は静まりかえっているのではないか、
と思う事がある。
ああ、なんだ やっぱり気の迷いだったのか、そう思ってテーブルにつく。
一人で食事を始めるが、口にしているのが肉なのか野菜なのか、
甘いのかしょっぱいのか、さっぱり解らない。
ぱさぱさと乾いたものを黙々と食んで呑み下し、
薄暗いキッチンの奥を眺めているうちに、
ぐにゃりと視界が歪んでそこいら中のものが崩れ落ちてくる。


そこまで考えて湯を止め、ゆっくりとバスルームを出る。
家の中は薄暗く、静まりかえっている。
物音をたてないよう、ゆっくりと寝室の扉を開ける。


添い寝されてすぐに寝入った我が子と、
添い寝をしながらいつも一緒に寝てしまう妻が、静かな寝息をたてている。


何処かに、バスルームを出て寝室の扉を開けたら、
やっぱりそこには寝息をたてている息子も妻も居なくて、
真っ暗な洞のようになった部屋の奥を見つめながら
立ち尽くしている僕が居るような気がする。
もしかしたらそちらの世界が現実で、何かの弾みでいつか僕も
そちらの世界に還る時が来るのじゃないか、そんな風に思ってみたりする。
薄暗い部屋で、味のない砂のような食事をして、
それを寂しいとも不満だとも思わない、何かを得る為には何かを捨てなければ、
と訳知り顔を決め込んですました顔でいる。
自分の顔が粘土のように崩れていって、目のあった場所には
暗い二つの穴が洞のようにぽっかりと口を開けて、
今にもそこに飲み込まれそうになる。


子が寝静まると静か過ぎて、起きている時の慌ただしさや賑やかさと比べると
あまりにも別な世界にぽつんと取り残されたようで、感覚の乖離を感じる。
それで時々、そんなことを思うのだろう。


元気で、どんどん大きく、重くなる。
驚くくらいの速さで大きくなり、此方はと言えば、色々なことに追いつけないでいる。
嬉しい悲鳴というやつだから、ちっともかまわないのだけれど。